丸メガネの人物史~海外編(芸術家)


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海外の丸メガネをかけた芸術家をご紹介します。





《生年順》

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生年順
生年 名前
1797 シューベルト
1838 ビゼー
1844 コルサコフ
1864 ロートレック
1871 ポール・ヴァレリー
1874 ホルスト
1876 パブロ・カザルス
1877 ヘルマン・ヘッセ
1879 クロフツ
1882 ジェームズ・ジョイス
1882 ストラビンスキー
1883 アントン・ヴェーベルン
1887 ル・コルビュジエ
1893 ハロルド・ロイド
1896 アイラ・ガーシュウィン
1906 ショスタコーヴィチ


シューベルト

シューベルト 1797年 - 1828年
オーストリアの作曲家。「野ばら」や「ます」などはとても有名 UP




ジョルジュ・ビゼー

ジョルジュ・ビゼー 1838年-1875年
フランスの作曲家。オペラ「カルメン」はあまりにも有名。UP




コルサコフ

ニコライ・リムスキー=コルサコフ 1844年3月18日 - 1908年6月21日)はロシアの作曲家。ロシア五人組の一人で、共感覚をもとに色彩感あふれる管弦楽曲を数多く残す。卓越した教師として名望があり、二人の高弟グラズノフとストラヴィンスキーのほか、リャードフやアレンスキーなどを輩出した。UP





ロートレック

アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック 1864年11月24日 - 1901年9月9日)は、19世紀のフランスの画家。日本では慣習的に「ロートレック」で呼ばれるが、正しくは「トゥルーズ=ロートレック(ロトレック)」と呼ぶ。
ロートレックの生家は、フランスの名家であり、伯爵家。祖先は9世紀のシャルルマーニュ時代までさかのぼることができる。父のアルフォンス伯は、奇妙な服装をするなど、変わり者で有名であった。
ロートレックは、幼少期には「小さな宝石(プティ・ビジュー)」と呼ばれて家中から可愛がられて育ったが、13歳の時に左の大腿骨を、14歳の時に右の大腿骨をそれぞれ骨折し、脚の発育が停止。成人した時の身長は152cmだった。自身が身体障害者として差別を受けていたこともあってか、娼婦、踊り子のような夜の世界の女たちに共感。パリの「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」をはじめとしたダンスホール、酒場などに入り浸り、デカダンな生活を送った。そして、彼女らを愛情のこもった筆致で描いた。作品には「ムーラン・ルージュ」などのポスターの名作も多く、ポスターを芸術の域にまで高めた功績でも美術史上に特筆されるべき画家であり、「小さき男(プティ・トンム)、偉大なる芸術家(グラン・タルテイスト)」と形容される。1901年9月9日、マルロメで母に看取られ死去した。享年37。1999年のフランス映画「葡萄酒色の人生」はロートレックを扱ったものである。 UP





ポール・ヴァレリー

アンブロワズ=ポール=トゥサン=ジュール・ヴァレリー(1871年10月30日 - 1945年7月20日)は、フランスの作家、詩人、小説家、評論家。多岐に渡る旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される。1945年死去。 その死はドゴールの命により戦後フランス第一号の国葬をもって遇せられた。日本では堀辰雄の『風立ちぬ』の冒頭に、ヴァレリーの 『海辺の墓地』から引用された「風立ちぬ、いざ生きめやも」"Le vent se lève, il faut tenter de vivre."の一節がよく知られる。UP






ホルスト

グスターヴ・ホルスト 1874年9月21日 - 1934年5月25日は、イギリスの作曲家。最も知られた作品は、管弦楽のために書かれた『惑星』(The Planets)であるが、全般的に合唱のための曲を多く遺している。またイギリス各地の民謡や東洋的な題材を用いた作品でも知られる。1905年から没するまでセント・ポール女学校の音楽教師の職にあり、その傍ら作曲活動を行った。UP





パブロ・カザルス

パブロ・カザルス(1876年12月29日 - 1973年10月22日)は、スペインのカタルーニャ地方に生まれたチェロ演奏家、指揮者、作曲家。
チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされる。それまで単なる練習曲と考えられていたJ.S.バッハ作『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の価値を再発見し、自ら演奏して不朽の名曲へと引き上げたのもカザルスの功績である。早くから世界的名声を築いたが、平和活動家としても有名で、音楽を通じて世界平和のため積極的に行動した。1950年代後半からはシュバイツァーとともに核実験禁止の運動に参加した。1971年10月24日、カザルス94歳のときにニューヨーク国連本部において「私の生まれ故郷カタロニアの鳥は、ピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」と語り、『鳥の歌』をチェロ演奏したエピソードは伝説的で、録音が残されている.。UP




ヘルマン・ヘッセ

ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse, 1877年7月2日 - 1962年8月9日)は、20世紀前半のドイツ文学を代表する作家。代表作「車輪の下」は、旅行先で出会った年上の女性に告白するが拒絶され、厳しい教育環境や社会環境もあって、ピストルで自殺未遂をするまでになるこの頃の苦悩が、原体験となっていると言われる。1946年ノーベル文学賞を受賞。
ヘッセの作品は難解であるともされ「誰もがミッキーマウスを理解する。ヘルマン・ヘッセをわずかの人が理解する。ほんのひとにぎりの人がアルベルト・アインシュタインを理解する。そしてノートン1世を理解する者は一人もいない。」というジョークが存在する。UP





クロフツ

フリーマン・ウィルス・クロフツ(1879年6月1日 - 1957年4月11日)は、イギリスの推理作家・元鉄道技師。リアリズムを重視した一連の推理小説で知られる。40歳で入院したあと、療養後に手慰みに書いた処女作『樽』は、かれに名声を与え推理作家への仲間入りを果たした。毎年1作ずつ新作を発表し50歳まで本業の技師を続けるが、体調悪化により退職しその後はロンドン近郊に転居して作家専業になり、英国芸術学士院の会員になった。UP




ジェイムズ・ジョイス

ジェイムズ ジョイス(1882年2月2日 – 1941年1月13日)は、20世紀の最も重要な作家の1人と評価されるアイルランド出身の小説家、詩人。画期的な小説『ユリシーズ』(1922年)は多くの作家に影響を与え、20世紀文学史上、記念碑的作品として知られる。ジョイスのすべての小説の舞台やその主題の多くがアイルランドでの経験が基礎にあり、その作品世界はダブリンに根差し、家庭生活や学生時代のできごとや友人(および敵)が反映されている。そのため、英語圏のあらゆる偉大なモダニストのうちでも、ジョイスは最もコスモポリタン的であると同時に最もローカルな作家という特異な位置を占めることとなった。UP





イーゴリ・フョドロヴィチ・ストラヴィンスキー

イーゴリ・フョドロヴィチ・ストラヴィンスキー(1882年6月17日 - 1971年4月6日)は、ロシアの作曲家で、指揮者、ピアニストとしても活動。ペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現・ロモノソフ)に生れ、ニューヨークで没。
20世紀を代表する作曲家の1人として知られ、20世紀の芸術に広く影響を及ぼした音楽家の1人である。生涯に、作風を次々に変え続け、「カメレオン」というあだ名をつけられるほど創作の分野は多岐にわたった。多くの名曲の中でも初期に作曲された3つのバレエ音楽(火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典)が名高く、特に代表作『春の祭典』は、音楽史上の最高傑作の1つにも数えられている。
ちなみに、1959年の来日時、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」(武満の作品は、過去に評論家の山根銀二らに「音楽以前」などと酷評されていた)のテープを聴き彼を絶賛した。ストラヴィンスキーに認められたことで、武満の評価は国内外で上昇の一途を辿る事となった。UP




アントン・ヴェーベルン

アントン・(フォン・)ヴェーベルン(Anton (von) Webern, 1883年12月3日 - 1945年9月15日)は、オーストリアの作曲家、指揮者、音楽学者。シェーンベルクやベルクと並ぶ新ウィーン楽派の中核メンバーであり、20世紀前半の作曲家として最も前衛的な作風を展開した。このため、生前は顧られる機会がほとんどなかったが、戦後の前衛音楽勃興の中で再評価され、世界的に多くの作曲家に影響を与えた。
1938年にナチス・ドイツによりオーストリアが吸収合併されると、ウェーベルンの音楽は「頽廃音楽」「文化的ボルシェヴィズム」の烙印を押され、演奏活動で生計を立てることは困難になった。終戦後に作曲活動を再開する思惑から、ウィーンを去ってザルツブルク近郊の娘の家に避難したが、娘婿が元ナチ親衛隊で、当時闇取引に関与していたため、ベランダに出てタバコに火をつけたところを、オーストリア占領軍の米兵により、闇取引の合図と誤解され、その場で射殺された。UP




ル・コルビュジエ

ル・コルビュジエ(1887年10月6日 - 1965年8月27日)はスイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠と呼ばれる。1965年南フランスのカプ・マルタンで水泳中に死去。
時計職人を養成する地元の装飾美術学校に学んだ彼は、大学教育は受けておらず、建築事務所に籍を置きながら実地で建築を学んだ。歴史上の功績は、鉄筋コンクリートを利用し、伝統から切り離された合理性をモットーとしたモダニズム建築の提唱者ということになる。彼の思想は世界中に浸透したが、特に1920年代の近代主義建築の成立において、造形上に果たした功績が大きい。フランスからの松方コレクション返還に際して建設された東京国立西洋美術館は、ル・コルビュジエが一度来日し、基本設計をまとめたものであった。実施設計は弟子の前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が担当した。UP





ハロルド・ロイド

ハロルド・ロイド 1893年-1971年
アメリカの喜劇俳優。ネブラスカ州出身。子役、エキストラを経て約500本近くの喜劇映画に出演。多くの作品にカンカン帽にセルロイドの丸眼鏡という独特の風貌で出演した。都会的な一好青年によるドタバタ喜劇というスタイルが特徴。セルロイド製の丸眼鏡を通称"ロイド眼鏡"というのは、彼にちなんでいることで有名。チャーリー・チャップリン、バスター・キートンと並び「世界の三大喜劇王」と呼ばれる。UP




アイラ・ガーシュイン

アイラ・ガーシュイン 1896年
今世紀のアメリカの音楽界の父と称されたジョージ・ガーシュインの兄。ニューヨークのブルックリン生まれで、父はユダヤ系のロシア人。1920年代から30年代にかけて弟ジョージと組んで彼の歌曲の歌詞を書くヒットメーカーとなる。UP




ショスタコーヴィチ

ショスタコーヴィチドミートリイ・ドミートリイェヴィチュ・シャスタコーヴィチュ1906年9月25日 - 1975年8月9日)は、ソビエト連邦時代の作曲家。交響曲や弦楽四重奏曲が有名。プロコフィエフと共に、マーラー以降の最大の交響曲作曲家であり、世界的にも特に交響曲の大家と認知されている。また、弦楽四重奏曲においても秀逸な曲を残し、芸術音楽における20世紀最大の作曲家の一人である。ショスタコーヴィチの音楽には暗く重い雰囲気のものが多いが、その一方でポピュラー音楽も愛し、ジャズ風の軽妙な作品も少なからず残している。UP




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