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生年順
生年 名前
1876 北澤楽天
1896 横山エンタツ
1898 東海林太郎
1903 古川ロッパ
1908 杉浦茂
1914 三木鶏朗
1924 三木のり平
1928 手塚治虫
1931 大村崑


北澤楽天
北澤 楽天(きたざわ らくてん、1876年7月20日〜1955年8月25日)は明治から昭和にかけて活躍した日本の漫画家、日本画家である。本名は保次。楽天は『時事漫画』や『東京パック』等の新聞や雑誌を中心として、多数の政治風刺漫画や風俗漫画の執筆で活躍した。更に漫画好楽会の結成などを通じて後進の漫画家の育成に努めたことから、多くの漫画史研究家より楽天は「日本の近代漫画の祖」と見なされている。また、楽天は日本で最初の職業漫画家でもあった。楽天は現代的な意味での「漫画」という用語の最初の使用者でもある。また、第二次世界大戦前に発行された楽天の『楽天全集』は、岡本一平の『一平全集』と共に、幼少期の手塚治虫に影響を与えた点で特筆される。UP




横山エンタツ


横山 エンタツ(よこやま えんたつ、1896年(明治29年)4月22日 - 1971年(昭和46年)3月21日)は大正・昭和期の漫才師。花菱アチャコとのコンビ(エンタツ・アチャコ)で、それまでの古典的な舞台芸能である「色物漫才」に代わり、スタンダップ・コメディである「しゃべくり漫才」へのムーブメントを作った。現在の漫才スタイルの元祖と言える。UP




東海林太郎

東海林太郎(しょうじ たろう、1898年(明治31年)12月11日 - 1972年(昭和47年)10月4日)は歌手。直立不動の姿勢で歌う戦前を代表する歌手。秋田県生まれ。NHK紅白歌合戦には、第1回・第6回・第7回・第16回の計4回出場している。1934年に発売された「赤城の子守歌」は空前のヒットとなった。UP




古川ロッパ

古川 ロッパ(ふるかわ ろっぱ 、1903年8月13日-1961年1月16日)は、編集者、エッセイスト、日本の戦前を代表するコメディアン。古川緑波とも表記される。
幼少期より文才に優れ、のちに芸名として用いた「緑波」の号は小学3年の頃に自らつけた筆名である。早稲田大学英文科在学中に菊池寛に招かれ、文藝春秋社に雑誌『映画時代』の編集者として入社。その後、菊池寛らの勧めで喜劇役者に転向。
恰幅の良い体格にロイド眼鏡の鷹揚な丸顔がトレードマーク。同時期の喜劇役者榎本健一と共に「エノケン・ロッパ」と並び称せられ人気を争った。UP





杉浦茂

杉浦茂(すぎうら しげる 1908年4月3日 - 2000年4月23日)は、東京出身の漫画家。。『冒険ベンちゃん』や『アップルジャム君』など少年向けの冒険漫画を描く。特に『猿飛佐助』や『少年児雷也』で一世を風靡する。その作画方法は、鉛筆による下書きなど行わず、いきなり白紙の原稿用紙にペンで書き込むという、他者に見られない手法であった。他作家に対して対抗心を見せることの多かった手塚治虫も杉浦茂に対しては「先生」と呼び「真似できない作風」と評した。90歳を越えて亡くなる間際まで漫画を描き続けた逸話はもはや伝説である。UP




三木鶏郎

三木 鶏郎(1914.1.28〜1994.10.7)作詞・作曲家
「日本のCMソングの父」ともいわれる。
最近ではキリン・アミノサプリナインのCMでおなじみの強烈にキミョーな曲「タララ・プンカポンカ・ピ」が50年の歳月を経てリリースされた。「トムとジェリー」「ジャングル大帝」「鉄人28号」や♪キリンレモン、♪3時のおやつは文明堂♪あっかるーいナショナールなどのCMソングは有名。UP

 



三木のり平

三木のり平(みき のりへい、1924年4月11日−1999年1月25日)は、昭和期のお笑い芸人、俳優
俳優座を経て、三木鶏朗グループに入り、コメディアンを目指す。「スターは三船(敏郎)。役者は(三木)のり平。」と言わしめるほど、その演技力は、大衆的に認知され、評されるほどであった。演出家としての才能も高く、森光子主演の舞台『放浪記』では、1981年より演出も務めている
また、「桃屋」のアニメーションCMは、1958年の『助六篇』から1998年の『カライ盗ルパン篇』まで40年間放送され、お茶の間に親しまれた。現在桃屋のCMは、実子で長男の小林のり一が声を担当している。UP





手塚治虫

手塚 治虫(てづか おさむ。初期のみおさむしと読ませた。本名:手塚 治、1928年〈昭和3年〉11月3日 - 1989年〈平成元年〉2月9日)は、日本の漫画家、アニメーター、医師。大阪府生まれ。医学博士の学位を持つ。戒名は伯藝院殿覚圓蟲聖大居士。
日本のアニメの先駆者。漫画の神様とも呼ばれている。医学生時代から、漫画家として活動を始めた。漫画家という職業の社会的な評価が大変低かったこともあり、漫画家と医師との二足の草鞋を履くことも考えたが、母の「好きなことをやりなさい」という言葉で専業漫画家の道を選んだエピソードはよく知られている。1947年に発表した『新宝島』は、漫画に映画的(スペクタクル)な表現を導入した先鋭な作品であり、藤子不二雄、石森章太郎(後に石ノ森章太郎と改名)ら後進に極めて大きな影響を与え、現代日本における漫画・アニメの基礎が築かれる過程で大きな役割を果たした。
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大村崑

大村 崑(おおむら こん、1931年11月1日 - )は、日本の喜劇俳優。昭和30年代を中心に、黎明期のテレビの軽演劇で爆発的な人気を得た、日本の喜劇界の大御所である。愛称は「コンちゃん」。2000年に日本喜劇人協会8代目会長に就任した。
ズレ落ちたメガネ(三木のり平からヒントを得たと言われている)とトボけた芸風で人気を博し大塚製薬提供の『とんま天狗』では、役名もズバリ「尾呂内南公」(オロナイン ナンコウ)。その後も大塚製薬の各CMに出演。「うれしいとメガネが落ちるんですよ」「オロナミンCは小さな巨人です」など各種フレーズは有名。創業者の大塚家とは親戚同様の付き合いであるという。
昭和40年代を中心に、街中では帽子にズレ落ちたメガネでオロナミンCを宣伝している大村崑のホーロー看板が飾り、現在でも、山間部などでその看板を見ることができる。現在も俳優として活躍。また、日本でも有数のメガネのコレクターでもある。
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