丸メガネのエッセイ
丸メガネは永遠に・・・
岡本隆博
メガネは、最古のメガネであり、最新のメガネでもある。
最古のメガネである……というのは、たとえば、下記の記事を読んでいただいてもわかるように
https://www.optpal.jp/contents/zatsugaku_1.html
大昔、レンズは当然ながら真ん丸だったのだから、それを二つつなげたメガネも、レンズ部分の形は真ん丸。
だから『最古のメガネは丸メガネ』というわけである。
そして、「最新のメガネでもある」というのはどういうことかと言うと、メガネの歴史が始まってからすでに数百年たつというのにいまだに、「丸メガネ」が新製品として、つぎつぎにいろんなメーカーからリリースされるという現実があるということである。
だから、陳腐な表現で恐縮だが、
「丸メガネは古くて新しいメガネ」なのでる。
そうなると必然的に、 「丸メガネはいつまでも流行遅れにならない、掛けていて安心できるメガネ」ということも言える。
これは、われわれメガネ屋にとっては、ある意味ではあまり有難くないことだともいえる。
我々には、当方でお作りさせていただいたメガネを気に入っていただいて末永く使っていただきたいという気持ちももちろんあるのだが、反面、商売人としてはいまお使いのメガネになるべく早く飽きてもらって、買い替えをしていただきたい、という気持ちもある。
(もっとも、私よりもうんと真面目な職人気質のメガネ屋さんならばそういう不心得な願望は持っておられないかもしれないが)
ところが、丸メガネには流行の型というものがあまりなくて、いわばいつまでも最新型なのであるから、飽きも来にくい。
だから、丸メガネの買い替えサイクルは、ほかのメガネよりも長い・・・・ という印象を私は思っている。
それは我々メガネ屋にとっては望ましくないことなのであるが、ただ、世の中よくしたもので、丸メガネはいわば必要悪的にしぶしぶかけるメガネ、ではなく、積極的に「こういうメガネをかけたい」という気持ちでかけて頂くことが多いものであり、いわばマニアックな商品だともいえる。
そうなると『買い替え』る期間は長くとも、『買い増し』により、いくつかの丸メガネをかけ替えて楽しんでいただくかたが少なくないという現実が見られるのである。
また、丸メガネファンのかたの中には、元来は飽きがこないはずの丸メガネなのに、現在の丸メガネの色やレンズの大きさに飽きがきていま使っているものが十分使えるのに、「お宅で1年ほど前にこの丸メガネをもらったんですが、今度は、もう少しレンズが大きめで、ふちが黒いものはどうかなと思って……」というふうに、比較的短期の買い替えをなさりにご来店いただくケースも、けっこうある。
ただ、そういうかたがたのご希望に沿うには、品揃えが貧弱では話にならない。少なくとも数十本、できれば100本以上の在庫は持ちたい。
丸メガネは普通のメガネよりも玉型(レンズ)の横幅が狭めであるから、眼の位置が、レンズのどの辺にくるかということが重要なので、フレームのサイズが重要である。
すなわち、眼のPD(瞳孔間距離)と、フレームPDが適合しないと外見上もおかしいし、本人の装用フレーム視野もまずくなってくる。
我々丸メガネ研究会は、オリジナルフレームとして、39□32、40□34などの、従来の常識を全く覆したサイズのものも品揃えしているのだが、それはあくまでも「PDとFPDの適合性」ということに忠実に従ったまでのことであり、言ってみれば、従来こういうサイズの丸メガネ、すなわち玉型サイズの割に鼻幅がえらく広いというサイズの丸メガネが全然なかったことは、世界中のすべてのフレームメーカー(正確に言えば、世界中のすべてのフレームメーカーの中で丸メガネを出していたメーカー)の怠慢であったともいえる。
例えば、顔幅はあまり広くないのにPDが72もある、なんていう人だといまなお、丸メガネ研究会の、アソンやナゴン以外には、サイズ的に適合する丸メガネはないのである。(ただし、オーダーメイドを除く)
当方に丸メガネを求めて来店されるお客様は、その時点ですでに丸メガネをかけておられるかたも多いのであるが、サイズ的に丁度よいのをかけてはおられないかたもけっこうおられて、その場合は、眼の中心がレンズの中心よりもやや外側(耳側)に来てしまっていて、外見上もヘンだし、側方の視野の狭さを感じておられる、というかたが多いのである。
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丸メガネ研究会は、私が知り合いのメガネ屋さんたちに呼びかけて2007年に始めた組織であるが、実際に始めてみて、当初の予想よりも多くのかたのご支持を得られたので、オリジナルフレームも次々にリリースすることができた。
そこで感じたことは、丸メガネを好む方々の年齢層の広さである。
始めるまえは、丸メガネのユーザーは20代と30代のかたがほとんどだろうと思っていたのだが、ふたを開けてみると40代~60代の方も多くて、我々はまったく広い範囲の丸メガネファンのかたがたにでくわしたということである。
ただ、固い会社に勤務のかたは少なくて、自営のかた、自由業のかた、音楽関係や芸術家などに多いというのは、予想どおりであったが、定年退職したあとの「元」お勤め人のかたにも、需要があるというのは予想外であった。
そういうかたにとっては、丸メガネは「身も心も自由」になったということの表象物なのであろう。
そして、メガネにおいては、40代以上のかたには遠近両用などの累進レンズがよく使われるのであるが、その場合、天地のサイズが深い丸メガネはもってこいのフレームであり、われわれメガネ屋としても安心して調製できるので、大助かりなのである。
さらに、丸メガネは、レンズ部分の横サイズが短めなので、側方視すると少し像が甘くなる累進レンズの場合には、その甘くなるところは自然にカットされるわけであり、累進を入れるのにはまことに好適なフレームだと言える。
いわば、「丸メガネは累進レンズのためのメガネ」とも言えて、最古のフレームに最新の設計のレンズがマッチするというのも面白い現象であると言える。
そして、
いまなおレンズの基本形である「まん丸」を、
そのまんまでメガネとした「丸メガネ」は、
メガネがこの地上に存在する限り絶対に消えてなくなることがない
「永遠のメガネ」
なのだ……と言えよう。
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そして、もうひとつ感じることは、ここにきて丸メガネは年々じりじりと販売本数が増える傾向にあるということである。
これは私だけでなく、丸メガネ研究会のみなさんがそのように感じておられると思う。
もうすでに、丸メガネの「静かなブーム」が始まっているのだと私は思っている。
……と、ここまで書いたところで、私と同じような印象を持っておられるかたのエッセイを見つけたので、本稿の最後にそれを紹介しておく。
http://www.asahi.com/fashion/column/fun/TKY201009080169.html
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ここで筆者のシトウさんは、金属製の丸メガネを昔の文豪になぞらえて、『知性』を演出する小道具だというようなとらえ方で説明しておられる。
そういう見方も決して間違いではないのだが、ただ、同じ金属フレームで、いま主流のシャープな感じのメガネと丸メガネを比較した場合に、どちらにより知性を感じるかと言えば、もちろん前者の方である。
それはいわば、形態が人に与える印象の、民族を超えた普遍性からして、シャープなものよりも丸っぽいもののほうが、やわらかさ、愛嬌、やさしさ、などをより感じさせるからだ、ということは、議論の余地がないと思う。
もう10年以上前になるが、私は業界のある会合で技術関係の講演をした。
受講者は数十人だったが、メガネ屋に勤務の若い人が多かった。
彼らのほとんどはメガネをかけている。
メガネ屋に勤めているから、視力的には不要でもダテで掛けている人もいたと思うが、とにかく会場を見渡してみて、メガネを掛けていない人を探すのが難しいという状態であった。
そのときに、私が話をして一息ついた瞬間に、前の方の席にいた一人の若い青年が挙手をした。
天地がさほど深くなくてスクエアー的な銀のメガネを掛けている。
なにか質問をしたいのだろう。
こういう講演で受講者の方から積極的に質問が出るというのはめったにないことであるから、私は不意打ちをくらったような感じで一瞬たじろいだ。
そして、彼の掛けているメガネの印象から、彼がすごい秀才のように見えたので、余計に緊張した。
ところが、その質問の内容は、 「クロスシリンダーを試験枠に入れたテストレンズの前で手持ちで振ると、頂間距離(目とレンズの距離)がやや長めになるので、度数が変わるのではありませんか」という、なまじっかな知識による的外れなものだったので、「なあんだ、賢そうに見えるがたいしたことはないな」とちょっと安心した。
(業界関係のかたは、この質問に対する応答については、本稿の末尾の参考記事を見ていただきたい)
この場合、メガネの「銀ぶち」「シャープ」「スクエアー」という3つの要素があいまって、彼を実際の何倍か賢い人に見せていたわけであろう。
ただ、では丸メガネはその装用者を知性的に見せることはないのか、シトウさんが言っていることは違うのか、というと、その答えは「ノー」である。
その理由は二つあると思う。
一つは、昔の学者などからの連想によるもの。
もうひとつは、メガネであるかぎり、一部の特殊なものでなければ、たとえば、大きめのはっきりした色のプラスチックの丸メガネなどでなければ、メガネというものは装用者の知性を多少なりともアップした感じに演出できる(演出してしまう)という基本的な特性を持っているからである。
なぜなのか。
それはメガネのおさまる位置が、顔の中央よりもやや上にあるからである。
人間の顔というものは、その内部に「考える」機能を受け持つ脳の主要部分が上部にあり、そして、「食べる嗅ぐ」などの動物としての生物本能的な機能を受けもつ器官である口や鼻は、やや下にある。
だからいわば、顔の天地中央よりも上に行けばいくほど、外見的な印象としては「知性」の領域で、逆に天地中央より下に行けばいくほど「反知性」の領域なのである。
(たとえば、写真で有名な芥川龍之介の逆三角形の顔と、政治家などに多い下ぶくれの顔とでは、どちらが知性に見えるか、それは改めて述べるまでもないだろう)
ゆえに、普通に眼の前に存在するメガネは、知性の領域における道具なのであり、それを鼻メガネにして下にずらすと、滑稽で知性的ではない印象になるわけである。
そして、プラスチック製であれ、金属性であれ、表面につやがあればあるほど『知性が光る』印象になるのである。
以上を総合して考えると、丸メガネというものは、元来知性的である「メガネ」に、その丸っぽい形状により角立ち(とげとげしさ)を和らげて愛嬌のある柔和な知性に変化させるという機能を持つものだと言ってよいが、基本的にはやはり装用者の知性を低めるものではない、と言えると思う。
(了)
〇参考までに〇
あの質問のあとの私と彼との話を下記に書いておく。
私
「なるほど……おっしゃるとおり、たしかに、度数、というか矯正効果は、まったく変わらないということではありません。では、たとえば、プラスマイナス0.50のクロスシリンダーの場合で、矯正効果は……この場合なら乱視度数は、どれくらい変わるのでしょうか」
彼
「………」
私
「では計算してみましょうか。
頂間距離の変化による矯正効果の変化は、
△D=(D×D×h)÷1000
で計算されます。
プラマイ0.50というのは、乱視が1Dあるということです。
この計算式のDのところに「1」を入れて、仮に、頂間距離の変化距離のところに20(mm)を入れますと、答えは0.02Dとなります。
すなわち、その場合の乱視の矯正効果の変化は、たったの0.02Dしかないので、
実際上全く問題にしなくてもよいわけです。
ただ、機械検査であろうが試験枠での検査であろうが、クロスシリンダー検査で、クロスのレンズと眼との頂間距離が長くなることにまったく問題がないというわけではありません。
ではなにが問題なのかというと、それは主として乱視矯正による像のゆがみです。
これは1Dもある乱視であれば、少し頂間距離が長くなるだけで、けっこう感じますね。
そうなると、どちらがハッキリするかという比較なのに、像のゆがみの違いを一生懸命に説明してくれる人がいたり、像のゆがみが気になって像の
はっきりさの比較に気が行かない人も出てきたりします。
しかし、だからと言って、機械式であれ手持ち式であれ、どのみちクロスシリンダーのレンズは、目にうんと近づけるのは、無理ですから、そういう像のゆがみを減らすには、乱視度数をなるべく弱めにしてやるという方法しかありません。
ということからすれば、プラマイ0.50のクロスよりもプラマイ0.25のクロスの方がベターだということになりますね。
ただ、装用乱視と眼の乱視の度数がかなり違う場合には、プラマイ0.25のクロスでは、はっきりさの違いが判らないこともありますので、その場合にはプラマイ0.50の方がはっきりさの違いがわかりやすいのです。
そういうときには、プラマイ0.50を使います。
ですので、プラマイ0.50の方は一切使わないのがよいというわけではありません。
しかし、基本的には、というか、装用乱視の度数と眼の乱視の度数がまあまあ近いだろうという場合には、クロスはプラマイ0.25を使うのがよいと言えるでしょう。」
彼 「……わかりました。ありがとうございました。」