現代の丸メガネ~日本編(1930~1940年代)




生年順
1914 笹本 恒子
1927 鈴木瑞穂
1930 不破哲三 
1930 渡部昇一
1931 大村崑
1932 小林亜星
1932 仲代達矢
1933 岡野雅行
1934 宝田明
1934 ふじたあさや
1934 永山久夫
1935 大江健三郎
1935 蜷川 幸雄
1935 中村錦平
1936 吉田重信
1936 司修
1937 中谷吉隆
1938 田村セツコ
1938 鋤田正義
1939 菊池武夫
1940 上條 恒彦
1940 鳥越 俊太郎
1940 荒木経惟
1940 大橋歩
1940 岡野宏
1941 大宅映子
1941 石坂浩二
1941 島地勝彦
1942 近藤正臣
1942 田中英道
1942 串田和美
1942 中尾彬
1942 月尾 嘉男
1943  森本レオ
1943 大前研一
1943 水橋孝
1943 三遊亭圓遊
1943 小杉隆芳
1943 逢坂 剛
1943 山本皓一
1943 延原武春
1943 ささめやゆき
1944 松岡正剛
1944 田勢康弘
1944 藤原新也
1945 角淳一
1945 飯田孝男
1945 黒鉄ヒロシ
1945 服部幸應
1946 マギー司郎
1946 小倉エージ
1946 西川きよし
1946 塩田潮
1946 坂上義太郎
1946 下條アトム
1947 空山 基
1947 細野晴臣
1947 矢崎滋
1947 早川義夫
1947 大原哲夫
1947 吉田克幸
1947 梶本晃司
1947 冨田健次
1948 木野花
1948 村上富士夫
1948 篠田三郎
1948 桂文珍
1948 鎌田實
1948 鈴木 敏夫
1948 中村好文
1948 塚本勝巳
1948 本川達雄
1948 青木茂
1948 近藤卓
1949 宮地佑紀生
1949 南こうせつ
1949 林望
1949 大竹まこと
1949 尾身茂
1949 上田正樹
1949 つのだ☆ひろ
1949 鷲田 清一
1949 木村秋則
1949 テリー伊藤
1949 山崎雅保
1949 大野秀敏

笹本 恒子(ささもと つねこ、1914年9月1日 - )は、東京品川区出身の写真家。
1940年(昭和15年)4月に)財団法人・写真協会に入り、女性報道写真家第1号となる。肖像写真も得意とする。
終戦後は離婚、写真家として復帰し、国内で起こった話題・事件の女性たちを撮り、数多くのグラフ雑誌に掲載したが、活動の場であった写真グラフ誌の多くが廃刊されてしまい活動を休止した。約20年間の沈黙を破り、1985年に71歳で国内を代表する著名な女性有名人を集めた写真展「昭和史を彩った人たち」で再び写真家として復帰した。2001年には、第16回ダイヤモンドレディー賞受賞。2011年には吉川英治文化賞を受賞し、現役として活躍している。UP




鈴木 瑞穂(すずき みずほ、1927年10月23日 - )は、満州出身の俳優・声優。京都大学経済学部中退。終戦で満州より帰国後、京都大学経済学部に入学。大学中退後の1952年に劇団民藝に参加し、1962年には舞台『るつぼ』での演技で芸術祭奨励賞を受賞した。

1971年、佐野浅夫、佐々木すみ江、下條正巳らと劇団民藝を共に退団。その後は劇団銅鑼を経てフリーとなり、舞台、映画、テレビドラマの他、張りのある独特の美声を活かして、洋画吹き替え、ナレーションなど多方面で活躍している。映画やドラマでは正義派のジャーナリストや弁護士、捜査官といった役を数多く演じている。日本語吹き替えではダースベイダー、ヴィトー・コルレオーネなどの大物の悪役を数多く担当している。写真は映画『226』で第36代内閣総理大臣阿部信行を演じた時のもの。UP
 



写真は、共産党の不破哲三前議長の夫人、上田七加子さんの回想記「道ひとすじ―不破哲三とともに生きる」(中央公論新社)の表紙の一部

不破 哲三(ふわ てつぞう、1930年1月26日 - )は、東京出身の政治家。東京大学理学部物理学科卒業。。“不破”はペンネームで本名は上田 建二郎(うえだ けんじろう)。両親は高知県の出身で、当時上田家に「跡取り」がいなかったため、父子共々養子として引き取られた。日本共産党前中央委員会議長。元衆議院議員。現在、党中央委員会常任幹部会委員で、党付属社会科学研究所所長。日本共産党元副委員長の上田耕一郎は実兄。
40歳で日本共産党の書記局長に就任し、当時マスコミから「共産党のプリンス」と呼ばれた。また「スマイリング・コミュニスト」(微笑する共産主義者)と呼ばれ1998年流行語大賞特別賞受賞を受賞したこともある。1998年に、31年間対立・絶縁していた中国共産党との交流を再開した。
130冊以上の著作があり、「赤旗」の評論員論文・無署名論文の多くを執筆したともいわれる。メガネが最も似合う各界の著名人として、1998年に日本メガネベストドレッサー賞(政界部門)を受賞した。UP




1948年、鶴岡第一高等学校時代
渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年(昭和5年)10月15日 - )
日本の英語学者、評論家。上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。
学位はヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学博士。称号・名誉学位はヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学名誉博士。公益財団法人日本財団評議員。
古書の蒐集家であり、専門の英語学関係の洋書だけで約一万点を所有。
専門の英語学以外にも歴史論、政治・社会評論を著している。
政治・歴史に関する評論については、保守系オピニオン誌である『正論』や『諸君!』『WiLL』『voice』『致知』などへの寄稿が多い。UP




大村 崑(おおむら こん、1931年11月1日 - )は、日本の喜劇俳優。昭和30年代を中心に、黎明期のテレビの軽演劇で爆発的な人気を得た、日本の喜劇界の大御所である。愛称は「コンちゃん」。2000年に日本喜劇人協会8代目会長に就任した。
ズレ落ちたメガネ(三木のり平からヒントを得たと言われている)とトボけた芸風で人気を博し大塚製薬提供の『とんま天狗』では、役名もズバリ「尾呂内南公」(オロナイン ナンコウ)。その後も大塚製薬の各CMに出演。「うれしいとメガネが落ちるんですよ」「オロナミンCは小さな巨人です」など各種フレーズは有名。創業者の大塚家とは親戚同様の付き合いであるという。
昭和40年代を中心に、街中では帽子にズレ落ちたメガネでオロナミンCを宣伝している大村崑のホーロー看板が飾り、現在でも、山間部などでその看板を見ることができる。現在も俳優として活躍。また、日本でも有数のメガネのコレクターでもある。




小林 亜星(こばやし あせい、1932年8月11日 - )は、作詞家、作曲家、俳優。東京都杉並区出身。旧制慶應普通部から慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学医学部入学、経済学部に転部して卒業。大日本肥満者連盟(大ピ連)初代会長。CMソングやテレビ主題歌にヒット曲、ロングランの曲が非常に多く、そのメロディに日本人の多くが馴染んでいるという点では右に出るもののない存在である。レナウンの『ワンサカ娘』、ブリヂストン『どこまでも行こう』、サントリー『陽はまた昇る』(サントリーローヤル)、ファミリーマート(あなたとコンビニファミリーマート)等々。UP



仲代 達矢(なかだい たつや、1932年12月13日 - )は、東京都出身の俳優。劇団俳優座出身で、「無名塾」を主宰し、後進の育成にも努め、舞台演劇、映画で戦後の日本を代表する俳優の1人。主演作『影武者』がカンヌ国際映画祭グランプリを受賞し、出演映画が米国アカデミー賞と世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネツィア・ベルリン)のすべてで受賞し、四冠を達成している。出演作25本のキネマ旬報ベストテン入賞回数は、主演級スターとしては三国連太郎に次ぐ数字で、3位は三船敏郎だが、仲代は他の2人と異なり、舞台が映画以上の比重を持つ俳優である。1996年紫綬褒章受章、2003年勲四等旭日小綬章受章、2007年に文化功労者となった。写真は、無名塾公演「ホブソンズ・チョイス~ホブソンの婿選び~」の時の丸メガネ姿。UP




岡野 雅行(おかの まさゆき、1933年2月14日 - )は、日本の技術者、経営者。現在、金属加工会社・岡野工業(株)の社長。東京都墨田区出身。
金属深絞り加工の世界的職人として知られ、東京都墨田区の従業員数6人という小さな町工場でありながら、その高い技術カが日本はもちろん、世界の大企業やNASAなどに注目され、製品が次々に採用される実績を持つ。「誰にも出来ない仕事をする」がモットー。講演では、かつての遊郭玉の井界隈で噺家にまみれて身に付いた、落語調の飾らない語り口で、ユーモアを交えて話すことから人気がある。
理論物理学者にも不可能と言われ、針の先端が蚊の口吻とほぼ同じ外径の「痛くない注射針」で一躍有名に。UP




宝田 明(たからだ あきら、1934年4月29日 - )は日本の映画俳優、タレント、声優、司会者。日本映画の黄金期である昭和30年代、東宝を代表する二枚目スターであった。昭和40年代以降、ミュージカルを中心とした舞台に活動の場を広げ、ドラマやバラエティなどテレビ出演も増えるようになった。1964年に文部省芸術祭奨励賞、1972年にゴールデンアロー賞を受賞。これまで出演した映画は200本を越える。身長183cm。写真はNHK連続テレビ小説「カーネーション」でヒロインの祖父「松坂清三郎」役の時の丸メガネ姿。UP




ふじたあさや(藤田 朝也、1934年 - )は、日本の劇作家。 東京生まれ。早稲田大学演劇科卒。在学中に福田善之と合作した「富士山麓」でデビュー。ラジオ・テレビドラマ作家として活動。1965年から劇団三十人会で劇作・演出をおこなう。1973年からフリーで、前進座、文化座、青年劇場などに戯曲を提供、一方では、児童青少年演劇・音楽劇などの脚本・演出も手がける。児童青少年演劇(劇団えるむ)、音楽劇(歌座)、現代演劇(俳優館)の専任演出家。1992年、「しのだづま考」で文化庁芸術祭賞受賞。日本演出家協会元理事長、日本劇団協議会常務理事、日本芸能実演家団体協議会理事、日本劇作家協会理事。 実父は横浜事件で検挙された中央公論元編集長の藤田親昌。UP




セルの丸メガネをかけた永山氏
(撮影:原ヒデトシ)
メタルの丸メガネをかけた永山氏
永山久夫(ながやまひさお)1934年、福島県生まれ。食文化史研究家。
食文化研究所、綜合長寿食研究所所長。西武文理大学講師。
古代から明治時代までの食事復元研究の第一人者。
長寿食や健脳食の研究者でもあり、長寿村の食生活を長年にわたり調査している。(永山久夫オフィシャルホームページより抜粋)
新聞の連載、テレビ、ラジオにレギュラー出演、また、愉快な語り口で古代食や長寿食、情報化時代の頭脳食などをテーマに講演もこなす。
著書に『永山豆腐店-豆腐をどーぞ』『100歳食入門』『みそ和食』ほか多数。UP




大江 健三郎 1935年1月31日 - )日本の小説家。愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)出身。映画監督伊丹十三は義兄にあたる。1994年にノーベル文学賞を受賞。UP




蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - )
日本の演出家、映画監督、俳優。桐朋学園芸術短期大学名誉教授。
アングラ・小劇場運動盛んな時期に演出家としてデビューし、若者層を中心に人気を集める。1970年代半ばから商業演劇に活動の場を移し、大劇場でのダイナミックな演出で話題作を次々と発表。1990年代以降は中劇場の空間を好んで使っている。
演出作品は、清水邦夫、唐十郎、井上ひさし、野田秀樹、岩松了などの現代劇から、ギリシャ悲劇やシェイクスピア、チェーホフなど海外の古典・近代劇に至るまで、多岐にわたる。鮮烈なヴィジュアルイメージで観客を劇世界に惹き込むことを得意とする、現代日本を代表する演出家のひとり。海外でも評価が高く、「世界のニナガワ」とも呼ばれる。UP



中村錦平プロデュース クレイコネクションbyフリーター展

中村錦平(なかむら きんぺい)1935年金沢生まれ。
東京焼窯元。多摩美術大学名誉教授。国際陶芸アカデミー(スイス)会員。
金沢美大・彫塑科中退、銀座割烹〈中嶋〉にて料理と魯山人の器を実学。ロックフェラー財団フェローで滞欧米1年。スクリップス大、コロンビア大・客員研究員。CraftHorizon 誌(米)特別編集委員。Gマーク選定委員。八木一夫賞・現代陶芸展審査員。朝日現代クラフト展審査員。仏政府招聘、国立セーブル製陶所で制作。EUROPEAN CERAMIC WORK CENTER(オランダ) で制作、韓国国際陶芸審査員、妻有アートトリエンナーレ陶芸専門委員などを経て現在にいたる。東京焼・中村錦平展で第44回芸術選奨・文部大臣賞受賞UP




吉田重信(よしだ しげのぶ) 略歴 (1936年4月24日-)
外務省に入省し、台湾大学歴史研究所・コロンビア大学・東アジア研究所に留学。
駐台北日本大使館書記官、総合研究開発機構(NIRA)、駐上海総領事、駐バンクーバー総領事などを歴任し、東京都知事選に立候補する。UP 




司 修(つかさ おさむ、1936年6月25日 - )は、群馬県前橋市出身の小説家、画家、装丁家、エッセイスト。法政大学名誉教授。
油彩・石版・エッチング・コラージュと多彩な技法を用いた挿絵、装丁で有名であり、中上健次・大江健三郎・宮澤賢治作品の装画・装丁を数多く手がけた。絵本の分野でも活躍。また近年では、小説・エッセイなどの作家活動も行っている。「司修の世界」展(1986年、池田20世紀美術館)など個展多数。1976年『金子光晴全集』の装丁で講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。1978年『はなのゆびわ』で小学館絵画賞受賞。小説では、1993年「犬」(『影について』に収録)で川端康成文学賞、2007年『ブロンズの地中海』(集英社)で毎日芸術賞を受賞。UP




写真は「信濃紀行 第6回全国フォト×俳句選手権」からお借りしました。
中谷吉隆(なかたに よしたか)
1937年 生まれ。広島市出身。 1957年. 東京写真短期大学(現東京工芸大学)写真技術科卒業。
東京新聞社出版写真部を経て1960年フリーランスとなり現在に至る。
ルポルタージュ、人物、風景、スポーツ、歴史写真など幅広い分野で各雑誌、カメラ誌、図書出版物、印刷物等に数多く発表。(Pro Photo Gallery "Ambition"参照)UP




田村 セツコ(たむら せつこ、1938年2月4日 - ) 日本のイラストレーター、エッセイスト。 1950年代後半よりイラストレーターとして仕事を始め、1960年代には「りぼん」「なかよし」などで少女向けのおしゃれページを多数手がける。1970年代にはキャラクターグッズが人気を博し、また、『若草物語』や『赤毛のアン』などの名作物語のイラストも手がける。サンリオ発行の「いちご新聞」の連載エッセイは創刊の1975年から現在も続いている。UP




鋤田 正義(すきた まさよし、1938年5月5日 - )
日本の写真家、スチールカメラマン、撮影技師。福岡県直方市出身。
日本写真映像専門学校卒業後、大広、デルタモンドで広告分野における実績を築き1970年にフリーとなる。
デビット・ボウイを40年間撮り続ける写真家、としても有名で、国内外で写真展を開催。撮影したアーティストとは厚い信頼関係を結ぶことも多く、開催された写真展では著名なアーティストがプライベートで足を運んでいることも話題となっている。UP



「MEN'S Precious」2012年12月号
菊池 武夫(きくち たけお、1939年5月25日 - )は東京都出身のファッションデザイナー。ファッションブランドTAKEOKIKUCHI創設者・初代デザイナーとして知られる。クールビズ推進協議会共同代表。
1970年に、レディースウェアを手がける株式会社ビギを設立。 劇団四季の舞台、「お気に召すまま」などの舞台衣装をプロデュース。後にメンズウェアも手掛けるようになり萩原健一主演の伝説的ドラマ「傷だらけの天使」の衣装を担当。爆発的なブームとなる。また、1973年公開のハリウッド映画燃えよドラゴンではブルース・リーがビギメンズの3Pスーツを着用している。メンズウェアの大成功により、1975年株式会社メンズビギを設立。DCブームの火付け役となる。1978年にはメンズウェアとしては日本人で初めてパリに進出。その後「ビギ」を離れワールドへ移籍、「TAKEO KIKUCHI」などのブランドを立ち上げ、2004年に一旦後任に引き継いだが、2012年の秋冬シーズンから、クリエイティブディレクターに再び就任した。UP




上條 恒彦(かみじょう つねひこ、1940年3月7日 - )は長野県出身の歌手、俳優・声優。
1971年、グループ「六文銭」と共演した『出発の歌(たびだちのうた)』で、三重県合歓の郷で開催された「ポピュラーソング・フェステバル'71」のグランプリを受賞。また、フジテレビ系列の時代劇『木枯し紋次郎』の主題歌『だれかが風の中で』を歌い、ヒットさせる。
それ以後は俳優としても活動し、数多くのテレビドラマ、映画、舞台に出演。TBS系列の『3年B組金八先生』の社会教師・服部肇役は有名。
丸大食品のウインナー、フランクフルト商品のCMソングを1980年代に担当していたこともあり、その名を知らずとも歌声を記憶している者は多い。
写真は「トリック新作スペシャル3」で弁護士佐伯幸三役 を演じた時の丸メガネ姿。
ご紹介者:匿名希望 UP




鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年3月13日 - )は、ニュースキャスター、コメンテーター。福岡県出身。京都大学文学部史学科国史学専攻卒業。1965年、毎日新聞社入社。新潟支局が初任地。「スーパーモーニング」に現在レギュラー出演中。有限会社エー・アンド・エス鳥越事務所代表取締役。特定非営利活動法人がん患者団体支援機構理事長。UP




荒木 経惟(あらき のぶよし、1940年5月25日 - )は、日本の写真家。東京都生まれ。通称「アラーキー」の名で呼ばれ丸い縁の黒めがねをトレードマークとする。UP





大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、三重県出身のイラストレーター、ブックデザイナー。多摩美術大学油絵科卒業。夫は、彫刻作家の石井厚生。週刊平凡パンチの表紙のイラストを1964年5月11日号(創刊号)から1971年12月27日号の390号まで担当。目次には毎号コラムを掲載していた。1963年イラストレーターを目指していた大橋歩は、大学4年生の時に同級生の紹介でヴァンヂャケットにデザイン画を持ち込み、石津謙介の長男で企画部長の石津祥介にその場で「メンズクラブ」のイラストを依頼される。1964年1月に「メンクラ」3ページに初めてイラストが載る。その数日後、平凡出版(現 株式会社マガジンハウス)の清水達夫より電話をしてくるようにとの電報を受け取り、絵を持参して訪問、小説の挿絵を依頼される。そして清水達夫よりの依頼で1964年4月末日発売の5月11日平凡パンチ創刊号より表紙を担当することになる。この時、男性週刊誌であるので男のような名前にという事より、「大橋歩」のペンネームがついた。UP




岡野宏(おかのひろし) 1940年 東京生まれ
元NHKアート美粧部、山野美容芸術短期大学客員教授、NHK研修センター講師
。テレビ白黒時代よりNHKアート美粧部に在籍。
40年以上にわたり、国内外の俳優のみならず、田中角栄をはじめとする歴代総理から、松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫などの名だたる経営者や文化人、果ては馬の顔やゴキブリまで延11万人のメークやイメージづくりを行う。"「顔」はその人を表す名刺であり、また顔とは頭からつま先までである"、という考えのもとに行うイメージづくりには定評があり、吉永小百合の代表作となった「夢千代日記」のメークや市川海老蔵のデビューイメージ指導も担当している。
また、選挙ポスターを担当した議員は必ず当選すると言われ、「縁起がいい」と美濃部亮吉元東京都知事から記念撮影をねだられたこともある。
NHK大河ドラマ、紅白歌合戦等のチーフディレクターを務め、2000年にNHK退社後は、キャスターや政治家、企業向けにイメージアップの研修や講演活動などを国内外で行っている。(岡野宏オフィシャルサイトより抜粋)UP




大宅映子(おおやえいこ、1941年2月23日-)はジャーナリスト・評論家。東京都生まれ。ジャーナリスト大宅壮一の三女。国際基督教大学卒。日本インフォーメーション・システム(NIS)の創設者。「行政改革審議会」「税制調査審議会」など政府の各種審議会の委員を、1978年頃からしばしば務めている。 家庭教育、親子関係などを中心に著書多数。 2002年6月から道路関係四公団民営化推進委員会の委員に就任。他の委員が次々と辞任・長期欠席する中、2005年9月30日の同委員会解散まで委員をつとめた。UP
《寸評》
この丸メガネは玉型の横径は46mmか48mmで、やや大きめですが、この才女がかけたら、三枚目にはならず、知性が控えめに感じられ、まろやかな感じで、いいですね。

誰でもメガネをかけると、賢こげに見えがちですが、もともと賢い人は、丸メガネでやさしくて親しみやすいというイメージを出すのがいいかもしれません。

もちろん、大宅さんご本人もそういう演出効果を狙って、このメガネをかけておられるのだと思いますし、その狙いは成功していると言えるでしょう。




石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年6月20日 - )俳優、タレント、作家、翻訳家、作詞家、ナレーター。芸名の由来は友人である女優・大空真弓が自分の好きな作家・石坂洋次郎と俳優・鶴田浩二からそれぞれ拝借して名づけたことによる。芸能界屈指の薀蓄を誇る。俳優業以外にも絵画や料理などで才能を発揮、多方面で活躍している。UP




「倶楽部SHIMAJI 現代ビジネス」からお借りしました。
島地勝彦 (しまじ・かつひこ) 1941年、東京都生れ。
青山学院大学卒業後、集英社に入社。『週刊プレイボーイ』『PLAYBOY』『Bart』の編集長を歴任。現在は、コラムニストとして活躍中。主な著書に『乗り移り人生相談』『知る悲しみ やっぱり男は死ぬまでロマンティックな愚か者』(ともに講談社刊)など。UP 




近藤 正臣(こんどう まさおみ、1942年2月15日 - )は京都出身の俳優。
京都・清水寺の境内にあり、スズメの焼き鳥を出すことで有名な茶店「舌切り茶屋」は、親類が営んでいる。店名の「舌切り」は、曽祖父の壮絶な最期に由来している。
正臣の曽祖父で、清水寺の寺侍だった近藤正慎(1816年 - 1858年)は、西郷隆盛と通じていた月照の逃亡を助けたという理由で捕らえられ、自白を迫られ22日間に及ぶ拷問を受け続けた(安政の大獄)。苦しみ抜いた正慎は、刃物もないので切腹できないため、舌を歯にはさんだまま獄の鉄格子に頭を強く打ち付けた。舌先はちぎれ飛び、残った舌がぐるっと喉に入り込み、窒息して正慎は死んだ。“勤王の志士だったひい爺さんの、侍の血を引いているんだ!”という強い自負があって、だから俳優になった後も近藤の姓を使い続けている」と、イベントの際に明かしている。写真は、音楽劇「ACT泉鏡花」で泉鏡花役での丸メガネ姿。UP




田中 英道(たなか ひでみち、1942年2月20日 - )は、日本の美術史家。東北大学名誉教授。東京都出身。『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』、『本当はすごい!東京の歴史』など著書多数。UP




串田和美(くしだ かずよし、1942年8月6日 - )は、東京都小金井市出身の俳優、演出家。日本大学芸術学部中退。父は哲学者で詩人の串田孫一、祖父は三菱銀行初代会長の串田万蔵。主宰するオンシアター自由劇場では、『上海バンスキング』(1979年)、『もっと泣いてよフラッパー』(1977年)、『クスコ』などのヒット作を生み出した。解散後はフリーの役者・演出家として活躍。コクーン歌舞伎、平成中村座公演を始めとする歌舞伎公演の演出もし、テレビCMなど多方面にて活躍中である。
シアターコクーン初代芸術監督(1989年〜1996年)。2000年から日本大学芸術学部教授。2003年4月からまつもと市民芸術館館長兼芸術監督。2006年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。UP




中尾 彬(なかお あきら、1942年8月11日- )
日本の俳優・タレント。千葉県木更津市出身。古舘プロジェクト所属。
前妻は茅島成美、現在の妻は池波志乃。義父は落語家10代目金原亭馬生、義祖父は5代目古今亭志ん生、義叔父は3代目古今亭志ん朝。『暴れん坊将軍』の初代徳川宗春役で知られている。身長175cm、血液型O型。UP




月尾 嘉男(つきお よしお、1942年 - )愛知県名古屋市出身。東京大学名誉教授、工学博士、地域経済総合研究所評議員。 1965年、東京大学工学部建築学科卒業。1972年に都市システム研究所所長に就任。その後、名古屋大学助教授、教授を経て、東京大学教授に就任。2003年、東京大学名誉教授。
建築デザイン・設計において、コンピュータ利用の草分け。また情報通信等を活用したまちづくりや地域起こしを提唱し、全国各地に自身が塾長に就任した私塾を設けている。情報通信審議会をはじめ、政府や地方自治体の審議会や懇談会の委員等を歴任。地球の許容人口50億人説を報道ステーションで説いた。デジタルアーカイブという語を初めて提唱した人物でもある。UP




森本 レオ(もりもと レオ、1943年2月13日 - )は、日本の俳優、ナレーター、タレント、声優 である。本名、森本 治行(もりもと はるゆき)。愛知県名古屋市中川区出身。日本大学藝術学部卒。
卒業後は名古屋に帰り、NHK名古屋制作のドラマ『高校生時代』(1967年)(後の『中学生日記』)で俳優デビュー。
平成に入ってからは『ショムニ (テレビドラマ)』での冴えない井上洸一課長役や、穏やかでほのぼのとした語りを生かした、後のナレーターとしての活躍に火をつけるきっかけとなった『王様のレストラン』などへの出演で比較的若い世代からも知られるようになる。
写真はドラマ「TRICK」の「言霊で人を操る男」のエピソードにて芝川玄奘を演じた時の丸メガネ姿。
ご紹介者:匿名希望 UP




大前 研一(おおまえ けんいち、1943年2月21日 - )は、福岡県出身の経営コンサルタント、経済評論家、起業家。カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授、株式会社大前・アンド・アソシエーツ代表取締役、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役、ビジネス・ブレークスルー大学学長。
早稲田大学理工学部卒業、東京工業大学大学院で修士号を取得。奨学金を得てマサチューセッツ工科大学に留学し、工学博士号を取得。帰国後、日立製作所で高速増殖炉の設計に携わるが、2年後に退社し、マッキマッキンゼー・アンド・カンパニーへ転職。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社長、アジア太平洋支局長、日本法人会長を歴任した後、独立。1992年に政策提言型の市民団体・平成維新の会を設立したが、1995年末に解散、その後、同会組織と会員はビジネス・ブレークスルーが発行する月刊誌「大前研一通信」や維新の会出身の地方議員による政治団体「NEXT」、市民団体「生活者主権の会」、政策学校一新塾などに引き継がれている。UP




水橋孝(みずはし たかし、1943年3月2日生まれ)
独自のテクニックと楽才に恵まれ、日本はもとより、アメリカ、ヨーロッパのミュージシャンの間で評判が高い。世界的レベルの日本人ベーシストであり、水橋孝というよりも”GON.MIZUHASHI”のほうが通りがよい。(GONとは彼のニックネームである。)
GON MIZUHASHIを有名ならしめたのは、バッキングの正確さとともに、SOLOにおけるADLIBにみせる才能が抜きん出ているためであり、コラボレーションを崩さずに十分に自己を表現する能力と技量が何よりも高く評価されていることである。
ジャパン・ベース・プレイヤーズ・クラブの会長を16年間務めている。(2006年現在)
~水橋孝OFFICIAL SAITEより一部転載UP




三遊亭圓遊(さんゆうてい えんゆう、本名 名取光三、1943年9月6日-)は東京都出身の落語家。真打。得意ネタは古典落語で、趣味はサイクリング。UP




小杉隆芳(こすぎたかよし、1943年10月生まれ)
研究者(研究分野:西洋史、19世紀フランス社会思想史など)、豊橋技術科学大学教授。UP




写真は「全国書店ネットワークe-hon」インタビューからお借りしました。
逢坂 剛(おうさか ごう、1943年11月1日 - )日本の小説家、推理作家。東京都文京区生まれ。本名は中 浩正(なか ひろまさ)。父は挿絵画家の中一弥。2001年から2005年まで日本推理作家協会理事長を務めた。愛棋家としても知られ、2008年4月に開幕した第66期名人戦七番勝負では、第一局を対局場となった東京都文京区にある椿山荘で観戦している。 UP




山本 皓一 (やまもと こういち) 1943年香川県生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、小学館の写真記者を経てフリーの報道写真家として活躍。
フォトルポルタージュを中心に世界120数カ国を取材し、アマゾン、パタゴニア、シベリアなど極地の取材を得意とする。2006年までにすべての「国境の島」に上陸。日本の「国境の島」シリーズで北方領土・南鳥島・尖閣列島・竹島・沖ノ鳥島全島を上陸取材、作品を雑誌等で発表し続けている。近年は領土問題の識者として講演活動も行なう。著作に『田中角栄全記録』(集英社)、『来た、見た、撮った!北朝鮮』(集英社インターナショナル)、『日本人が行けない「日本領土」』(小学館)、『国境の島が危ない!』(飛鳥新社)ほか多数。第35回講談社出版文化賞「写真賞」受賞。日本写真家協会、日本ペンクラブ会員。 UP




延原 武春(のぶはら たけはる、昭和18(1943)年生まれ)は大阪府出身の指揮者、オーボエ奏者。大阪音楽大学卒。
1963年、日本テレマン協会を組織。現在は傘下の演奏団体であるテレマン室内オーケストラ、テレマン室内合唱団を率いてバロック音楽普及活動。文化庁芸術祭優秀賞、サントリー音楽賞ほか受賞多数。平成21年、ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬賞。UP




写真は「東京イラストレーターズ・ソサエティ」より
ささめやゆき 1943年東京生まれ。アーティスト。85年ベルギー・ドメルホフ国際版画コンクールにて銀賞、95年小学館絵画賞、99年講談社出版文化賞さしえ賞受賞。UP



松岡正剛(まつおかせいごう、1944年1月25日 - )編集者、著述家。京都府出身。東京都立九段高等学校、早稲田大学文学部フランス文学科中退。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を歴任。現在、編集工学研究所所長、ISIS編集学校校長。
長年培ってきた編集的世界観に基づき確立した「編集工学」をもとに、2000年6月、世界初のインターネット上の学校「ISIS編集学校」を設立し、校長に就任。単なる文章術にとどまらない、プランニングからコーチングまでを幅広くカバーする「編集術」を伝授するという独特なスタイルが評判を呼ぶ。UP




田勢 康弘(たせ やすひろ、1944年10月8日 - )
1944年10月中国黒龍江省黒河で出生。山形県白鷹町出身。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒。日本経済新聞社入社。記者歴42年の大半を政治記者として活躍し、25人の内閣総理大臣を取材。ワシントン支局長、編集委員、論説副主幹、コラムニストを歴任。2006年から4年間早稲田大学教授。1996年に日本記者クラブ賞を受賞。「国家と政治―危機の時代の指導者像」「政治ジャーナリズムの罪と罰」「指導者論」など著書多数。UP




藤原新也(ふじわら しんや)
写真家。作家。1944年福岡県生まれ。60年代末からインド亜大陸をはじめ世界を旅し、清濁併せのむが如く世界のありのままの姿を文章、写真、また近年は書という手段を通じて表現し続けている。近著に『日本浄土』『死ぬな生きろ』『書行無常』など。
*写真と紹介:家庭画報2012年7月号よりUP




角 淳一(すみ じゅんいち、1945年1月1日 - )は、MBS毎日放送専属パーソナリティで、元同社アナウンサー。愛称は『角さん』、『おじいちゃん』。大阪府四條畷市出身。
メルボルンオリンピックの実況を聞いたことがきっかけで、アナウンサーを目指すようになった。テレビ・ラジオでバラエティー色の強いアナウンサーとして活躍。最初のDJ番組から大阪弁でしゃべり、先輩アナウンサーから注意を受けるも自分の考えを押し通した。しかし、阪神・淡路大震災のラジオ報道時、災害報道であることから影響を考え標準語での放送に徹したことを述懐し、「今こそ大阪弁やったのに…」と、自らの言葉で被災者に語りかけられなかったことを、記録集の中で悔いている。出演番組に『ちちんぷいぷい』『夜はクネクネ』などUP




飯田 孝男(はんだ たかお、1945年6月25日 - )は、大分県出身の俳優。
1968年から演劇活動を始め、大人計画の客演など40本以上の舞台に出演し、アンダーグラウンドの演劇活動を行う。映画、舞台の他、最近は話題のCF、PVにも出演し、強烈でポップなインパクトを放つ超個性派俳優。さえないサラリーマンから、乞食、大臣役まで幅広いキャラクターに変身する。 哲学俳優、元祖アングラとも呼ばれる。記憶に新しいところでは、「au by KDDI・着うた」のCFでのバードウオッチングやMr.Childrenの「くるみ」のPVでのMr.Adultsなどがある。右の写真と文章:飯田孝男オフィシャルウェブサイト」より




黒鉄 ヒロシ(くろがね ひろし 1945年8月3日)は高知県佐川町出身の漫画家。
ギャグ漫画が多いが、近年の歴史漫画も「黒鉄歴画」といわれ、高く評価されている。歴史雑誌歴史街道の表紙絵を担当し、見開きに描いた人物に関するコメントをしている。大のギャンブル好き、読売ジャイアンツのファンとして有名。博識、的確なコメントから高い評価を得、テレビのコメンテーターやクイズ番組のレギュラー回答者として数多く出演。実家は高知県の司牡丹酒造であり、その屋号「黒金屋」がペンネームの由来である。UP





服部 幸應(はっとり ゆきお、本名: 染谷 幸彦、そめや ゆきひこ、1945年12月16日 - )は、東京都豊島区出身の料理評論家、教育者、男性タレント。学校法人服部学園理事長、服部栄養専門学校校長。社団法人全国調理師養成施設協会会長、社団法人全国栄養士養成施設協会副会長、東日本料理学校協会会長、NPO日本食育インストラクター協会代表なども務める。羽田孜・毒蝮三太夫と並んで、人民服風マオカラースーツの愛用者として知られる。UP




マギー司郎(マギーしろう、1946年3月17日 - )は、茨城県出身の手品師・タレント。メガネにヒゲ、黄色い燕尾服という風貌と、飄々としてとぼけた茨城訛りのトークで観客を煙に巻く。このトークは、かつてストリップ劇場の前座を任されていた頃、手品だけでは時間が余るため始めたという。マギー審司は3番目の弟子。日本奇術師協会相談役。UP




小倉 エージ(おぐら えーじ、1946年6月15日生まれ)は兵庫県神戸市出身の音楽評論家、料理評論家。洋楽から歌謡曲、アジアンポップスまで評論の幅は広く、日本レコード大賞の審査員も務めるなど、音楽業界の重鎮の一人。80年代からは理都子夫人とともに料理評論家としても活動。中華料理、東南アジア料理に造詣が深く、著書も数多い。UP




写真はNHKテレビの「マッサン」で、住吉酒造の田中社長の役を演じたときのもの。
西川 きよし(にしかわ きよし、1946年7月2日 - )
日本のタレント、俳優、司会者、お笑い芸人・元参議院議員・シーランド公国のロードの称号を持つ。本名、西川 潔(読み同じ)。高知県高知市朝倉生まれ。大阪市港区・住吉区育ち。吉本興業所属。UP




塩田潮(しおた うしお、1946年7月14日生まれ)は高知県出身のノンフィクション作家。慶大卒。雑誌編集者、代議士秘書、「文芸春秋」契約記者などをへて文筆生活にはいる。昭和58年「霞が関が震えた日」で講談社ノンフィクション賞。著作はほかに「百兆円の背信」「1000日の譲歩」などがある。UP




写真はサイト「中村政人 美術と教育プロジェクト」からお借りしました。
坂上義太郎(さかうえ よしたろう)1946年 10月 兵庫県伊丹市生まれ
美術評論家、近代大阪美術研究会・美術運動史研究会所属
1983年に仏教大学博物館学芸員課程 修了(学芸員資格 取得)
2008年より精華大学立体造形コース非常勤講師
現在、全国各地での美術展の審査員や、美術館の購入評価委員を務めている。UP




下條 アトム(しもじょう アトム、本名:同じ、1946年11月26日 - )は、東京都出身の俳優、声優(ナレーター)。
手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』は下條アトムの命名より後に描かれたものであり、同名となったのは偶然の一致であるというエピソードは有名である。『鉄腕アトム』の連載当時、アトムという名の少年が実在することが話題となり、当時少年だった下條は手塚治虫と対面している。
また、ウランという名前の女の子(しかも彼女の苗字は「賀来(かく)」であり、字を変えれば「核・ウラン」である)が偶然にも下條の小学生時代の同級生におり、当時のテレビ番組『私の秘密』(NHK総合)に2人で出演したこともある。
写真は「トリック新作スペシャル2」で医師・恩田洋三を演じた時の丸メガネ姿。
ご紹介者:匿名希望 UP



写真はブログ「茶の間日誌」より
向かって右が空山基氏
(左と中央はイラストレーターのささめやゆき氏と田村セツコ氏)
空山 基(そらやま はじめ、1947年(昭和22年)2月22日 - ) 日本のイラストレーター。
愛媛県今治市出身。 1965年(昭和40年)、四国学院大学文学部英文科に入学する。大学時代は英文学とギリシア文学について学ぶ。1967年(昭和42年)には、美術を学ぶために中央美術学園に入学。1969年(昭和44年)に学校を卒業し、広告代理店に就職。1971年(昭和46年)にフリーランスのイラストレーターとして独立した。以後、エロティックかつメタリックな質感およびメカニカルな造形で女性を描いたイラストレーションは、世界的に高く評価されている。また、ソニーが開発したエンタテインメントロボットである AIBO のデザインも手がけた。UP




細野 晴臣(ほその はるおみ、1947年7月9日 - )は東京都出身ののミュージシャン。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。2008年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。シンセサイザー・コンピュータを用いた音楽やディスコへの興味が高まっていった1978年、高橋幸宏、坂本龍一とイエロー・マジック・オーケストラ (Y.M.O.) を結成。1980年にはその活動がブームを巻き起こす。Y.M.O.の成功をきっかけにメディアにも露出するようになり、アイドル・歌謡曲界への多数の楽曲提供、新人発掘のためのレーベル「YEN」の高橋との共同による立ち上げなど個人としても精力的に活動を行う。また、ヴィデオ・ゲーム「ゼビウス」の音源をダンス・ミュージックにアレンジした『ビデオ・ゲーム・ミュージック』(1984年)をプロデュース、ゲーム・ミュージックが音楽ジャンルとして確立するきっかけをつくった。UP




矢崎 滋(やざき しげる、1947年9月2日 - )は、東京都出身の俳優、プロ落語家。言語学者で多言語を解した父(アンデルセンの翻訳家としても知られる元東京教育大学教授の矢崎源九郎)の影響で、高校時代から複数の西洋語や古典語を齧り、自身も一度は同じ道を志すか迷ったこともあるというが、父との資質の違いを悟り、演劇の道を選んだ。東京大学文学部英文学科中退。舞台芸術学院夜間部をへて、1968年劇団四季に入団、俳優となる。UP




写真は「早川義夫公式サイト」からお借りしました。
早川 義夫(はやかわ よしお、1947年12月15日 - )は、日本のシンガーソングライター、著述家。1960年代後半にロックバンド、ジャックスのメンバーとして活動。ジャックス解散後、URCレコードのディレクターの傍ら、ソロアルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』を発表する。このアルバムにも収められている「サルビアの花」は後に多くのミュージシャンによってカバーされるスタンダード曲となる。ディレクターとしては岡林信康、加川良らを担当した。 しかし次第に音楽の仕事から離れ、1972年には川崎市内に早川書店を開店した。1994年に『この世で一番キレイなもの』で復帰するまで23年間音楽活動を停止していた。UP




大原哲夫(1947年、門司市生まれ) 
1972年より2008年まで小学館の編集者として美術書、音楽書を手掛ける。
『モーツァルト全集』『バッハ全集』『武満徹全集』『林光の音楽』他多数。
音楽と美術に差はないが信条。
         大原哲夫展 ~音額―目と耳の距離は、近い~ よりUP




吉田克幸(よしだかつゆき、1947年生まれ)東京生まれのカバンデザイナー。吉田カバンのチーフディレクターとして、名作タンカー(TANKER)シリーズをはじめ、数々の名品といわれるカバンを世に排出。81年に、日本人として始めて「ニューヨーク・デザイナーズ・コレクティブ」のメンバーに選出される。現在はPorter Classic代表。ポータークラシックは株式会社吉田より吉田克幸が独立し、息子である吉田玲雄と2007年に設立した会社である。UP




梶本 晃司 (かじもと・こうじ) 1947年、神奈川県生まれ。
学生時代から始めた歴史探歩の会は、すでに30余年、催行回数も約2000回。 国宝(厳島神社)、国の重要文化財(金沢城石川門・能登時国家・宮島千畳閣など)を舞台としたイベントの企画や作詞・演出の分野にまで、その活動は拡がっている。 他地域における新しいテーマ型観光おこしや活性化、さらには学校行事にも取り組み、各地でユニークな企画づくりに携わり、アドバイザーを務める。 著書にひげの梶さん歴史文学探歩シリーズ『利家とまつを歩こう!』『西国街道を歩こう!』『誰も気づかなかった鎌倉を歩こう!』『とっておきの鎌倉を歩こう! パート2』。 UP




冨田健次(とみた けんじ)1947年生まれ
元大阪大学大学院言語文化研究科教授(ベトナム言語学)。ベトナミスト・クラブ代表。昭和22年、長崎県生まれ。東京外国語大学卒業、筑波大学大学院博士課程中退。大阪外国語大学(現・大阪大学)助教授、教授を経て現職。著書に『ベトナム語の基礎知識』(大学書林)、『フォーの国のことば』(春風社)など。
*写真とプロフィールは平成25年11月18日産経新聞関西版夕刊より拝借しました。UP




木野 花(きの はな、1948年1月8日 - )は、青森県出身の女優及び演出家。弘前大学教育学部美術学科卒業。大学卒業後に中学校の美術教師となるが、1年で退職。その後に上京して演劇の世界へと入り、1974年には女性だけの仲間5人とともに青い鳥を結成する。この出来事は小劇場ブームの旗手的な存在になる。1986年に退団。UP




村上 富士夫(むらかみ ふじお、1948年8月生まれ)は、大阪大学大学院生命機能研究科教授で科学技術振興機構さきがけ統括。大阪大学基礎工学部卒業、大阪大学大学院修了の工学博士。研究内容は「脳における神経回路形成と細胞移動」で、『脳の神秘を探る』等の著書がある。UP




篠田 三郎(しのだ さぶろう、1948年12月5日 - )は、東京都港区出身の俳優。
写真は世界的化学者、高峰譲吉博士の活躍に光を当てる映画「TAKAMINEアメリカに桜を咲かせた男」で化学者桜井錠二役で丸メガネをかけた篠田三郎。UP



桂文珍
桂 文珍(かつら ぶんちん 本名:西田 勤、1948年12月10日 - )は兵庫県出身の落語家。吉本興業所属。大阪産業大学卒。新作落語、古典落語の両方演じる。主な得意ネタとして、新作では自作の「老婆の休日」「ヘイ!マスター」「マニュアル時代」、古典では「愛宕山」「百年目」「胴乱の幸助」「らくだ」等がある。また、文藝評論家谷沢永一との縁から、1988年より関西大学の文学部非常勤講師を務め(~2003年)、「文化人」としても認められるようになった。2005年3月に、「ウェークアップ!」が終了したことを機に、テレビ番組にほとんど出演せず、落語家に専念し若手の育成に励むことを表明。UP




鎌田 實(かまた みのる、1948年6月28日 - )は、東京都出身の医師。東京医科歯科大学医学部卒業。
長野県茅野市の諏訪中央病院医師として、「住民とともに作る地域医療」の最前線に取り組む。1988年、同病院院長就任。1991年 日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)を設立。ベラルーシ共和国の放射能汚染地帯の病院へ18年間に90 回の医師団を派遣し、約14 億円の医薬品を支援。2004年よりイラクの4つの小児病院へ毎月400万円の薬を送り、難民キャンプでの診察等を実践。『がんばらない』など著書多数。UP




鈴木 敏夫(すずき としお、1948年8月19日 - )は、日本の編集者、映画プロデューサー。株式会社スタジオジブリ代表取締役、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団副理事長。UP 




中村好文(なかむら よしふみ、1948年 - )建築家。千葉県出身。武蔵野美術大学建築学科を卒業。住宅建築を中心に活動し家具製作も行っている。1993年に「一連の住宅作品」で第18回吉田五十八賞特別賞を受賞。UP





塚本勝巳(つかもと かつみ、1948年生まれ) 岡山県出身の海洋学者。東京大学農学部水産学科卒業。東京大学海洋研究所・海洋生命科学部門・教授。
東京大学海洋研究所の教授・塚本勝巳をはじめとする研究チームがニホンウナギの天然卵を世界で初めて採集し、長年の謎だった産卵の位置をマリアナ海嶺の南端近くの海域と特定し、新月に合わせて産卵するとの説を証明した。現在消費されるウナギの大半は、回遊する天然の稚魚を捕まえて育てる養殖だが、資源の激減が大きな問題になっており、チームは「(卵からの完全な)養殖技術の促進や、ウナギの保全と国際管理の科学的根拠になる」としている。UP




本川 達雄(もとかわ たつお、1948年 - )は宮城県仙台市出身の生物学者、シンガーソングライター。東京大学理学部生物学科(動物学)卒業。1991年より東京工業大学理学部教授。
一般への科学普及に力を入れており、多数の著書がある中で、アロメトリーという日本でなじみの少ない学問を平易に解説した『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)はベストセラーになった。
「歌う生物学者」としても有名で、「生物学の知識を歌にして覚える」という学習方法を提唱しており、本人の作詞作曲による歌をまとめた『歌う生物学 必修編』を出している。受験参考書として有名なチャート式生物学I、IIも執筆しているが、そのIIの方の巻末には氏の作詞作曲による「人類進化のうた」が掲載されている。UP




青木 茂(あおき しげる、1948年 - )は、大分県出身の建築家。 首都大学東京研究戦略センター教授、株式会社青木茂建築工房主宰、リファイン建築の提唱者。
1971年近畿大学九州工学部(現産業理工学部)建築学科卒業、1977年アオキ建築設計事務所設立、1990年株式会社青木建築工房に組織変更、2006年 - 2007年近畿大学産業理工学部客員教授、芝浦工業大学工学部非常勤講師、首都大学東京大学院工学研究科非常勤講師、2008年より首都大学東京研究戦略センター教授。博士(東京大学、工学)。UP




近藤 卓(こんどう たく)
略歴:1948年埼玉県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は健康教育学、臨床心理学。高等学校教諭、中学校・高等学校カウンセラー、ロンドン大学精神医学教室・研究員、群馬大学、立教大学、東海大学などを経て山陽学園大学に勤務。
現職:山陽学園大学生活心理学科・教授。日本いのちの教育学会・会長、日本学校メンタルヘルス学会・理事、日本学校保健学会・理事。
資格:臨床心理士、学術博士、高等学校教諭免許(工業・社会)。 
特徴:本や論文を読んだり、自らの調査・実践に基づいた研究データを元に、文章を書いたり人前で話をするのが好き。また、車、飛行機、ラジオ、アンプ、無線機、カメラなどの動くモノや機械モノ、ギター、ピアノ、コントラバスなどの音の出るモノが好きで、これらがあれば何時間でも一人遊びをしている。プロフィールは「reserchmap」から抜粋。UP




宮地佑紀生(みやち ゆきお、1949年1月9日 - )は、名古屋を中心に活躍するタレント。 ラーメン好きで知られ、ラーメンに関する本を執筆したことがある。UP




南 こうせつ(みなみ こうせつ、本名 南 高節、1949年2月13日生まれ)は、大分県大分市出身のフォークシンガー・元かぐや姫のリーダー。妻はエッセイストの南いくよ。大分市(旧:大分郡竹中村)の曹洞宗勝光寺の生まれで、寺は長兄・慧昭が定年退職後に跡を継ぎ、住職を務めている。富士山の麓などで生活するが、夫婦共に冬の寒さに限界を感じたのがきっかけで現在は大分県杵築市在住。ちなみに、明豊中学校・高等学校の校歌を育代夫人と共に手がけている(夫人作詞・こうせつ作曲)。また、杵築市立山香中学校の校歌も手がけている(作詞・作曲ともにこうせつ)。UP



林 望(はやし のぞむ、1949年2月20日 - )は、作家、日本文学者。かつて小説執筆時に「沢嶋優(さわしま ゆう)」のペンネームも使用していた。東京都墨田区に生まれ。慶應義塾大学文学部国文学科卒業。
イギリス滞在中の体験から、イギリスの食文化・イギリス人の食生活に関する随筆「イギリスはおいしい」(平凡社・文春文庫)を執筆して、1991年に作家としてデビュー。同作で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1993年「林望のイギリス観察辞典」(平凡社)で講談社エッセイ賞受賞。のちに東京芸術大学助教授となったが、より自由な創作活動をめざして同大学を退職し、現在では随筆・小説などの執筆を中心としている。自伝ふうの作品は「東京坊ちゃん」と「帰らぬ日遠い昔」で、そこに過去の思い出が記してある。UP




大竹 まこと(おおたけ まこと、1949年5月22日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、ラジオパーソナリティ。本名大竹 真(おおたけ まこと)。大竹まこと・斉木しげる・きたろうで構成するシティボーイズのリーダー。東京都目黒区出身。血液型A型。東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業。双子の兄弟の兄にあたり、大竹オサムは、弟にあたる。UP





尾身 茂(おみ しげる、1949年(昭和24年)6月11日 - )は、日本の医師、医学博士。地域医療・感染症・国際保健などが専門。
現在、独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)理事長、独立行政法人年金・健康保険福祉施設整理機構理事長、名誉世界保健機関(WHO)西太平洋事務局事務局長、自治医科大学客員教授。東京都在住。東京都出身。(Wikiより)UP




上田 正樹(うえだ まさき、1949年7月7日 - )は、R&B・ソウルシンガー、シンガーソングライター。1974年伝説のスーパーバンド“上田正樹とサウストゥサウス”を結成し、当時のバンドブームの頂点にたつ。その後ソロになり、1983年「悲しい色やね」がシングルチャート1位を獲得。ソウルフルなボーカルが印象的。UP





つのだ☆ひろ(本名:角田 博民(つのだ ひろたみ)、1949年8月1日 - )は、福島県東白川郡塙町出身の歌手、ドラマー、作詞家・作曲家。有限会社角田兄弟社代表取締役。次兄に漫画家のつのだじろう、四兄にリュート奏者のつのだたかしがいる。UP




鷲田 清一(わしだ きよかず、1949年9月2日 - )
日本の哲学者(臨床哲学・倫理学)。大谷大学教授、大阪大学名誉教授。
関西大学文学部教授、大阪大学総長などを歴任した。
専攻は臨床哲学・倫理学。現象学・身体論を専門としており、ファッションを研究している。UP




木村秋則(きむらあきのり、1949年11月8日 - )は、世界で初めて無農薬・無施 肥のリンゴの栽培に成功した日本の農家。株式会社木村興農社代表取締役。 最近では自然栽培の必要性を伝えるため各地の生産者の所にも指導に行き、 全国各地に活動の場を広げている。 絶対不可能と言われていた「りんごの無農薬栽培」を成功させたその実話は 「奇跡のリンゴ」として映画化された。 著書に『リンゴが教えてくれたこと 』『奇跡を起こす 見えないものを見る力』 ほか多数。 UP




テリー伊藤(テリー いとう、1949年12月27日 - )は、東京都出身の演出家、テレビプロデューサー、タレント、評論家。テレビ番組制作会社ロコモーション社長、IVSテレビ制作非常勤相談役、USテレビ放送副社長。元IVSテレビ制作専務取締役。芸名の「テリー」は本名の輝夫に因んでいる。UP




写真と文はサイト「講師の心.com」からお借りしました。
山崎雅保(やまざき まさやす、1949年生まれ)
心理健康ジャーナリスト/子どものふるさと研究所主宰
心理カウンセリング「ハートピット」所長。

心理セラピストとしてカウンセリングを担当する一方、親子問題、教育問題、更には心の健康に関する執筆活動や教育関連の団体での講演会を精力的に行う。日経BPオンラインの『土壇場の夫学』を連載中。
豊富なカウンセリング経験に立脚した”現代社会人または子ども達を取り巻く環境”についての講演は全国の教育関連担当者達の間でも好評。子どものための歌ほか、自作曲によるコンサート活動も行っている。UP




大野 秀敏 (おおの ひでとし、1949年 - )
岐阜市出身の日本の建築家。元東京大学大学院教授(新領域創成科学研究科環境学専攻、工学部建築学科兼担)。
槇文彦の事務所出身であり、槇の東大教授時代には助手を務めた。
2005年、fibercity tokyo/2050 という50年後の東京をケーススタディとした縮小時代のメガロポリスに対する都市モデルを発表した。
2011年、東京2050//12の都市ビジョン展においてfibercity tokyo ver.2 を発表した。UP




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