こんな本
橋本峰雄 『丸いメガネを返せ』 朝日新聞社
解説 岡本隆博
本書が上梓されたのは昭和48年、西暦では1973年、大阪万博の3年後である。
著者は当時、神戸大学文学部教授で、専門は哲学。
先の大戦が終わって、その数年あとくらいまでは、まだ丸メガネをかけている人は多かったが、それから徐々に丸メガネは減っていく。
終戦後28年もたった昭和48年では、丸メガネ氏は、ほとんど皆無に近い状態であった。
そういう状況のもとで、本書は執筆されたのである。
本書はタイトルこそ、丸メガネというものを大きく打ち出しているが実際には哲学の本であり、ここにおける「丸メガネ」は、いわば、流行にはのらないけれど、ものごとのベースにあるもの、というほどの位置づけがなされており、そういうもののひとつの象徴としての「丸メガネ」なのである。
本書の一部をここにご紹介する。
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序にかえて
-丸いメガネを返せ-
とうとう丸型のメガネがなくなった。
私のメガネは丸型だが、だいぶ古くなったので、あるデパートのメガネ部へいった。
しかしもはや丸型の枠は一つも用意されていなかった。
やっとみつけて「それを」といってみたら、ニンマリ笑った店員に「それは婦人用です」と一蹴された。
なるほど、例のトンボ・メガネである。
5、6年前に、「丸型を」といって店員に怪訝な顔をされて驚いたことがあった。
事実、そのときすでに丸型の枠は一種類しか用意されていなかった。
それもとうとうなくなっていたのである。
つまり、それほど丸型ははやらないということである。
長年の節を屈して、上部のひらたい型のメガネに転向せざるをえなくなったわけである。
私には、丸型よりも柳眉をさかだてた型のメガネがなぜよいのか、いまだに納得できない。
丸いメガネはヤボであろうか。
丸いメガネをかけた石川啄木は、いまから見てもけっしてヤボではないだろう。
しかし丸型がメガネの基本形であるとすれば、なんでも基本形というものはヤボなものだともいえる。
だが、メガネにかぎらず、流行が基本を駆遂し、イキがヤボを凌駕してしまうのは、社会の趣味の健全な比率ではない。
丸いメガネに私が固執してきたのは、機能主義からであった。
鼻が低くてメガネがすぐずり落ちてしまい、いま流行の平型では視野がせまくなって私にはハナハナ不都合なのである。
日本人の鼻がパンスネー(鼻メガネ)にたえるほど高くなったとき、日本は西洋文明に追いつけたことになるのだ、という佐々木邦の警句をむかし読んだ覚えがあるけれども、今日の体位向上した若い人々は、はたして平型のメガネでなんの不自由もないのであろうか。
しかし思いかえしてみると、丸型をメガネの基本型といったけれども、なにも丸型でなくても四角のメガネが基本型であってもよいわけだ。
今日もはや丸型がなくなってしまって扁平型のメガネだけが人々の好みになっているとすれば、この方こそメガネの基本型になったわけである。
かえって丸型が変型になったのである。
基本というものも相対的なものにすぎない、といわなければならないのかもしれない。
メガネの型などは趣味と流行の問題にとどまる。
しかし話はひどく飛躍するけれども、次のような問題になると深刻にならざるをえない。
近代科学の基本型は、西洋の16、17世紀にガリレイ、デカルト、ニュートンらの天才たちが確立した機械的自然観にもとづく力学、ないし物理学にあった。
それは、ウェーバーのいわゆる没価値性の見地(禁欲的態度)が自然に対して完全に可能であることを前提とした上で、世界を数学的な枠によってとらえるものである。
ガリレイの有名なことばで「自然という本は数学の文字で書かれている」というわけである。
これが科学の基本型、いわば丸型メガネであった。
しかし、周知のように、20世紀の新物理学(相対性理論・量子力学)は、はたして近代科学の枠をゆすぶるものであるのか、という問題がある。
さらには、それはたんに世界の枠だけでなく、近代科学の根本前提である没価値性の見地そのものに、ある保留を要求するものであるのか、という深刻な問題がある。
後者の問題になると、もはやなにが科学の基本型かということでなく、およそ型そのものが問題なのである。
機械的自然観が究極のものではなく、むしろ古代以来の有機的・生命主義的自然観をとるべし、というような議論もなされている。
それは、メガネの枠を丸型の基本型から角型あるいは扁平型に変えろという主張にとどまらず、色メガネに変えてしまえという主張なのである。
私は色メガネは困ると思う。
わが国政治の基本型であった戦後デモクラシーもいまその型の変化を迫られているように見える。
しかし、この場合も、透明メガネを色メガネにまで変えてしまうのは問題であろう。
私は基本型である丸メガネをやむをえず扁平型に変えてさえ、友人たちから人相が悪くなったといわれているのである。
丸いメガネを返せ。
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この筆者の丸メガネ肖像写真は、このサイトの「人物史」のページで、見ていただくことができる。
※「丸メガネの人物史」はこちら
※橋本峰雄氏の肖像写真