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現代の丸メガネ~海外編

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アンドレ・リュウ

André Rieu, 1949年10月1日 -
オランダの音楽家・指揮者・ヴァイオリニスト。
マーストリヒト出身。
世界中で演奏活動を行い、ヨーロッパやアメリカで爆発的な人気を誇り、近年では日本をはじめ、アジア各国でもその演奏は知られるようになった。
「音楽は楽しむもの」という信念のもと、人々にクラシック音楽を楽しく・気軽に楽しめるように、各種ユニークな演出を試みながら指揮・演奏をするスタイルをとっている。
自身でヨハン・シュトラウス・オーケストラを結成し、ヨハン・シュトラウス2世などのウィンナワルツに特に造詣が深いことでも知られている。

イヴァン・リンス

Ivan Guimarães Lins, 1945年6月16日 -
ブラジル出身のミュージシャン。
ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック (MPB) やジャズ界で主に活動している。
初期のヒット作である"Madalena"は、1970年にエリス・レジーナによって録音されたことでも有名である。

彼の曲は、カーメン・マクレイ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、クインシー・ジョーンズ、ジョージ・ベンソン、マンハッタン・トランスファー、ダイアン・シューア、ナンシー・ウィルソン、イリアーヌ・アライアス、パティ・オースティン、トゥーツ・シールマンス、テイク6、リー・リトナー、デイヴィッド・ベノワ、マーク・マーフィー、デイヴ・グルーシン、セルジオ・メンデス、マイケル・ブーブレなどを含む、多くの著名ミュージシャンにカバーされている。

エリック・パトリック・クラプトン

Eric Patrick Clapton, CBE、1945年3月30日 -
イギリスのミュージシャン、ギタリスト。
1960年代からヤードバーズ、クリームなどのバンドでギタリストとして活動。
その演奏について、エリック・クラプトンは神だとロンドン市内に落書きされた。
「スローハンドというニックネームで知られる。
『ローリング・ストーン』誌の2003年8月号のカバーストーリー「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第4位。
2011年の改訂版では第2位。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第55位。

サー・エルトン・ハーキュリーズ・ジョン

1947年3月25日 -
イギリスミドルセックス州ピナー生まれのピアニスト、シンガーソングライター。
代表曲に「僕の歌は君の歌」「ロケット・マン」「クロコダイル・ロック」など。
自動車事故で亡くなったダイアナ元皇太子妃への追悼歌「キャンドル・イン・ザ・ウィンド 1997」はアルバム『黄昏のレンガ路』に収録されていた楽曲を、歌詞を変えてリメイクしたものだが、全世界で3700万枚以上のセールスを記録。
世界各国のヒットチャートで首位を獲得し、シングルとしては史上最も多くの枚数を売り上げた。

オジー・オズボーン

John Michael "Ozzy" Osbourne, 1948年12月3日-
イングランド・バーミンガム出身のヘヴィメタルミュージシャン。
ブラック・サバスの悪魔的イメージの源流(の一つ)ともなった独特の歌唱法、不気味だがユーモラスなパフォーマンスは多くのファンに熱狂的に支持されており、カリスマ的な存在になっている。
本名は、ジョン・マイケル・オズボーン(John Michael Osbourne)。

キム・ゴンモ

金健模、김건모、1968年1月13日 -
1992年デビューの韓国の歌手。
釜山出身。
ソウル芸術大学卒業。
韓国で最も人気のある芸能人の一人であるキムは、韓国で最もアルバムを売った記録を所持している。
彼はアルバムを100万枚売る数少ない歌手であり(彼の7番目のアルバムは2001年に130万枚以上売れた)、彼のアルバムは韓国の音楽チャートで一貫して上位にランクされる(8番目のアルバムは2003年に最もよく売れたアルバムとなった)。
代表曲は『핑계』(日本語訳「言い訳」)、『잘못된 만남』(日本語訳「間違った出会い」)、『짱가』など。
又、2000年10月には、札幌(札幌ファクトリーホール)、東京(オンエアーイースト)、大阪(ヒートビート)の3都市で日本公演が実施された。

ジャック・デジョネット

Jack DeJohnette
アメリカのジャズ・ミュージシャン ドラム、ピアノ奏者

セルジオ・メンデス

Sérgio Santos Mendes [ˈsɛɣʒiu ˈsɐ̃tus ˈmẽˈdʒis]、1941年2月11日 -
ブラジルのミュージシャン。
代表作「マシュ・ケ・ナダ」。
幼少の頃からリオ市内の音楽学校でクラシック・ピアノを学ぶなど、恵まれた環境で音楽の基礎を身に着けるが、その後はクラシックの道へと進まなかった。
1950年代後半にジャズ、そしてボサノヴァに移行し国内外で活躍。
1962年に「ヴォサ・リオ・セクステット」を結成。
1965年にはアメリカに活動の場を移し、アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトとともに、1960年代中盤から後半にかけて巻き起こった世界的なボサノヴァ・ブームの推進役を務める。
1966年に発表した「Sergio Mendes & Brasil '66」とその中に収められた「Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ)」のアレンジが世界的大ヒットし、日本を含む世界中にその名を轟かす。
その後も、ビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」や「デイ・トリッパー」といった曲をボサノヴァ風にアレンジしたカヴァーなど、欧米の音楽市場にとって親しみやすいボサノヴァをつくり、世界中での支持につながった。
1970年の大阪万国博覧会でのライブなど、来日公演の経験も多数ある。
近年では、2006年と2008年に来日公演を行っている。

ジェームズ・ニュートン・ハワード

James Newton Howard,1951年6月9日 -
アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の映画音楽作曲家。
レコード・プロデューサー、キーボーディスト、指揮者等としても活躍している。
南カリフォルニア大学の音楽学校で学んでいたが、中退してエルトン・ジョンのツアーに参加。
1985年から映画音楽を手がけるようになる。
1986年に女優のロザンナ・アークエットと結婚したが、翌年離婚している。

トミー・リピューマ

Tommy LiPuma, 1936年7月5日 -
アメリカ合衆国の音楽プロデューサー、ヴァーヴ・ミュージック・グループ会長。
オハイオ州クリーブランド出身。
マイルス・デイヴィスやイエロージャケッツ、ジョージ・ベンソン、ダイアナ・クラール等、数多のアーティストをプロデュースしており、幾度もグラミー賞を勝ち取ったりノミネートしている。
特に有名なアルバムにジョージ・ベンソンのBreezin'があげられる。

トロット・ナイト・キング

韓国の音楽グループ
中央の丸メガネがリーダーのテリー

パトリック・ヌジェ

Patrick Nugier
パリ生まれ、フォンテンヌブローで育つ。
4歳からクラシックピアノを始め、16歳で優秀賞を獲得。
フルート・トランペット・アコーデオンもマルチに演奏する。
1997年NHK仏語会話の歌のコーナーに出演。
アコーデオンを弾きながら歌うシャンソン歌手として、活躍中。

ファビオ・ルイージ

ルイジとも、Fabio Luisi、1959年1月17日 ジェノヴァ -
イタリア出身の指揮者。
パガニーニ音楽院でピアノのディプロマを取得し、アルド・チッコリーニに師事。
1983年、グラーツ音楽院を卒業。
1984年よりグラーツ歌劇場で活動を始める。
1990年にはグラーツ交響楽団を創設し、1995年まで芸術監督を務めた。
西ドイツおよびオーストリアの歌劇場を転々としながら経歴を重ねてきた。
1996年から2007年までライプツィヒ放送交響楽団芸術監督、1997年から2002年までスイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者。
2005年からウィーン交響楽団の首席指揮者を務めている。
また、2007年8月よりザクセン州立歌劇場(ゼンパー・オーパー)およびシュターツカペレ・ドレスデンの音楽監督に就任した。
しかし、シュターツカペレ・ドレスデンにおいては、2010年のジルヴェスターコンサートの指揮者をクリスティアン・ティーレマンとすることが、音楽監督たる自身の与り知らぬところで決定された、と主張し、任期満了を待たずして一方的に契約を破棄している。
2010年よりパシフィック・ミュージック・フェスティバル芸術監督。

ブルース・コバーン

1945年 カナダ・オタワ生まれのシンガー・ソング・ライター

ボブ・ブロズマン

1954年生まれ
アメリカのミュージシャン・ギタリスト。
超絶的なプレイを繰り広げるソロでの弾き語りを主なプレイ形態とし、その音楽性はブルース・カントリー・ハワイアン・カリプソ・ラテンにまで及び、非常に幅広い。
リゾネーター・ギターの使い手として有名。
ミュージシャンとしてのみでなく、戦前のアメリカを中心とした民族音楽の歴史家、評論家としても定評を得ている。

マイケル・ナイマン

Michael Nyman、1944年3月23日 -
イギリスのミニマル・ミュージックの作曲家であり、ピアニストであり、オペラ台本作家であり、さらに音楽学者でもあり、音楽評論家でもある。
英国王立音楽大学とキングス・カレッジで作曲法、音楽史、イギリスのバロック音楽を中心に学び、1976年までは主に音楽評論家として活躍。
音楽評論で初めて「ミニマル」の概念を持ち込んだ。
1982年から映画音楽の作曲家としての本格活動を開始、ピーター・グリーナウェイ監督作品を始め、「仕立て屋の恋(1989)」、「髪結いの亭主(1990)」、「ピアノ・レッスン(1993)」などが有名。
特に「ピアノ・レッスン」のサウンドトラックの売り上げは全世界で300万枚を突破。
メインテーマのピアノソロ曲『楽しみを希う心』も有名になりシングルカットされている。
1993年に初来日、作品がCM音楽(トヨタ)に使われるなど、日本での人気も高い。

ラリー・カールトン

Larry Carlton、1948年3月2日 -
アメリカ合衆国カリフォルニア州トーランス出身のジャズ・フュージョン界を代表するギタリスト、作曲家。
Gibson ES-335を使用していることでよく知られており、'Mr.335'という愛称で呼ばれている。

ラリー・コリエル

Larry Coryell、1943年4月2日-
アメリカ合衆国のジャズ・フュージョン・ギタリスト。
ジャズとロックの融合に早くから取り組んだ他、アコースティック・ギターを使用したジャズとクラシックの融合も試みる。

レイ・クーパー

Ray Cooper 1942年8月19日-
イギリス生まれのパーカッション奏者。
リズムに合わせて、体中を使ってパーカッションを鳴らすという独特のスタイルで演奏。
数々の有名アーティストと共演。
エリック・クラプトンやジョージ・ハリスンなどの日本公演に同行し来日。
また、1995年2月のエルトン・ジョン来日公演では、エルトン・ジョンと2人だけの素晴らしいパフォーマンスを日本のファンにも披露した。
情報提供者:nocchiさん

ロン・カーター

Ron Carter
アメリカのジャズ・ミュージシャン
ベース奏者

ロン・メイル

Ron Mael、1948年8月12日 -
アメリカロサンゼルス出身のミュージシャン。
ヴォーカル担当の弟ラッセルとキーボード担当のロンでロック&ポップ・バンド「スパークス」として活躍。

海外編

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