現代の丸メガネ~日本編(生年順)
1945年~1949年
角 淳一(すみ じゅんいち)
1945年1月1日 -
MBS毎日放送専属パーソナリティで、元同社アナウンサー。
愛称は『角さん』、『おじいちゃん』。
大阪府四條畷市出身。
メルボルンオリンピックの実況を聞いたことがきっかけで、アナウンサーを目指すようになった。
テレビ・ラジオでバラエティー色の強いアナウンサーとして活躍。
最初のDJ番組から大阪弁でしゃべり、先輩アナウンサーから注意を受けるも自分の考えを押し通した。
しかし、阪神・淡路大震災のラジオ報道時、災害報道であることから影響を考え標準語での放送に徹したことを述懐し、「今こそ大阪弁やったのに…」と、自らの言葉で被災者に語りかけられなかったことを、記録集の中で悔いている。
出演番組に『ちちんぷいぷい』『夜はクネクネ』など
飯田 孝男(はんだ たかお)
1945年6月25日 -
大分県出身の俳優。
1968年から演劇活動を始め、大人計画の客演など40本以上の舞台に出演し、アンダーグラウンドの演劇活動を行う。
映画、舞台の他、最近は話題のCF、PVにも出演し、強烈でポップなインパクトを放つ超個性派俳優。
さえないサラリーマンから、乞食、大臣役まで幅広いキャラクターに変身する。
哲学俳優、元祖アングラとも呼ばれる。
記憶に新しいところでは、「au by KDDI・着うた」のCFでのバードウオッチングやMr.Childrenの「くるみ」のPVでのMr.Adultsなどがある。
右の写真と文章:飯田孝男オフィシャルウェブサイト」より
黒鉄 ヒロシ(くろがね ひろし)
1945年8月3日
高知県佐川町出身の漫画家。
ギャグ漫画が多いが、近年の歴史漫画も「黒鉄歴画」といわれ、高く評価されている。
歴史雑誌歴史街道の表紙絵を担当し、見開きに描いた人物に関するコメントをしている。
大のギャンブル好き、読売ジャイアンツのファンとして有名。
博識、的確なコメントから高い評価を得、テレビのコメンテーターやクイズ番組のレギュラー回答者として数多く出演。
実家は高知県の司牡丹酒造であり、その屋号「黒金屋」がペンネームの由来である。
服部 幸應(はっとり ゆきお)
本名: 染谷 幸彦、そめや ゆきひこ、1945年12月16日 -
東京都豊島区出身の料理評論家、教育者、男性タレント。
学校法人服部学園理事長、服部栄養専門学校校長。
社団法人全国調理師養成施設協会会長、社団法人全国栄養士養成施設協会副会長、東日本料理学校協会会長、NPO日本食育インストラクター協会代表なども務める。
羽田孜・毒蝮三太夫と並んで、人民服風マオカラースーツの愛用者として知られる。
マギー司郎(マギーしろう)
1946年3月17日 -
茨城県出身の手品師・タレント。
メガネにヒゲ、黄色い燕尾服という風貌と、飄々としてとぼけた茨城訛りのトークで観客を煙に巻く。
このトークは、かつてストリップ劇場の前座を任されていた頃、手品だけでは時間が余るため始めたという。
マギー審司は3番目の弟子。
日本奇術師協会相談役。
小倉 エージ(おぐら えーじ)
1946年6月15日生まれ
兵庫県神戸市出身の音楽評論家、料理評論家。
洋楽から歌謡曲、アジアンポップスまで評論の幅は広く、日本レコード大賞の審査員も務めるなど、音楽業界の重鎮の一人。
80年代からは理都子夫人とともに料理評論家としても活動。
中華料理、東南アジア料理に造詣が深く、著書も数多い。
西川 きよし(にしかわ きよし)
写真はNHKテレビの「マッサン」で、住吉酒造の田中社長の役を演じたときのもの。
1946年7月2日 -
日本のタレント、俳優、司会者、お笑い芸人・元参議院議員・シーランド公国のロードの称号を持つ。
本名、西川 潔(読み同じ)。高知県高知市朝倉生まれ。
大阪市港区・住吉区育ち。吉本興業所属。
塩田 潮(しおた うしお)
1946年7月14日生まれ
高知県出身のノンフィクション作家。
慶大卒。
雑誌編集者、代議士秘書、「文芸春秋」契約記者などをへて文筆生活にはいる。
昭和58年「霞が関が震えた日」で講談社ノンフィクション賞。
著作はほかに「百兆円の背信」「1000日の譲歩」などがある。
坂上 義太郎(さかうえ よしたろう)
写真はサイト「中村政人 美術と教育プロジェクト」からお借りしました。
1946年 10月 兵庫県伊丹市生まれ 美術評論家、近代大阪美術研究会・美術運動史研究会所属 1983年に仏教大学博物館学芸員課程 修了(学芸員資格 取得)
2008年より精華大学立体造形コース非常勤講師 現在、全国各地での美術展の審査員や、美術館の購入評価委員を務めている。
下條 アトム(しもじょう アトム)
本名:同じ、1946年11月26日 -
東京都出身の俳優、声優(ナレーター)。
手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』は下條アトムの命名より後に描かれたものであり、同名となったのは偶然の一致であるというエピソードは有名である。
『鉄腕アトム』の連載当時、アトムという名の少年が実在することが話題となり、当時少年だった下條は手塚治虫と対面している。
また、ウランという名前の女の子(しかも彼女の苗字は「賀来(かく)」であり、字を変えれば「核・ウラン」である)が偶然にも下條の小学生時代の同級生におり、当時のテレビ番組『私の秘密』(NHK総合)に2人で出演したこともある。
写真は「トリック新作スペシャル2」で医師・恩田洋三を演じた時の丸メガネ姿。 ご紹介者:匿名希望
空山 基(そらやま はじめ)
写真はブログ「茶の間日誌」より
向かって右が空山基氏 (左と中央はイラストレーターのささめやゆき氏と田村セツコ氏)
1947年(昭和22年)2月22日 -
日本のイラストレーター。
愛媛県今治市出身。
1965年(昭和40年)、四国学院大学文学部英文科に入学する。
大学時代は英文学とギリシア文学について学ぶ。
1967年(昭和42年)には、美術を学ぶために中央美術学園に入学。
1969年(昭和44年)に学校を卒業し、広告代理店に就職。
1971年(昭和46年)にフリーランスのイラストレーターとして独立した。
以後、エロティックかつメタリックな質感およびメカニカルな造形で女性を描いたイラストレーションは、世界的に高く評価されている。
また、ソニーが開発したエンタテインメントロボットである AIBO のデザインも手がけた。
細野 晴臣(ほその はるおみ)
1947年7月9日 -
東京都出身ののミュージシャン。
多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。
2008年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
シンセサイザー・コンピュータを用いた音楽やディスコへの興味が高まっていった1978年、高橋幸宏、坂本龍一とイエロー・マジック・オーケストラ (Y.M.O.) を結成。
1980年にはその活動がブームを巻き起こす。
Y.M.O.の成功をきっかけにメディアにも露出するようになり、アイドル・歌謡曲界への多数の楽曲提供、新人発掘のためのレーベル「YEN」の高橋との共同による立ち上げなど個人としても精力的に活動を行う。
また、ヴィデオ・ゲーム「ゼビウス」の音源をダンス・ミュージックにアレンジした『ビデオ・ゲーム・ミュージック』(1984年)をプロデュース、ゲーム・ミュージックが音楽ジャンルとして確立するきっかけをつくった。
矢崎 滋(やざき しげる)
1947年9月2日 -
東京都出身の俳優、プロ落語家。
言語学者で多言語を解した父(アンデルセンの翻訳家としても知られる元東京教育大学教授の矢崎源九郎)の影響で、高校時代から複数の西洋語や古典語を齧り、自身も一度は同じ道を志すか迷ったこともあるというが、父との資質の違いを悟り、演劇の道を選んだ。
東京大学文学部英文学科中退。
舞台芸術学院夜間部をへて、1968年劇団四季に入団、俳優となる。
早川 義夫(はやかわ よしお)
写真は「早川義夫公式サイト」からお借りしました。
1947年12月15日 -
日本のシンガーソングライター、著述家。
1960年代後半にロックバンド、ジャックスのメンバーとして活動。
ジャックス解散後、URCレコードのディレクターの傍ら、ソロアルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』を発表する。
このアルバムにも収められている「サルビアの花」は後に多くのミュージシャンによってカバーされるスタンダード曲となる。
ディレクターとしては岡林信康、加川良らを担当した。
しかし次第に音楽の仕事から離れ、1972年には川崎市内に早川書店を開店した。
1994年に『この世で一番キレイなもの』で復帰するまで23年間音楽活動を停止していた。
大原 哲夫(おおはら てつお)
1947年、門司市生まれ
1972年より2008年まで小学館の編集者として美術書、音楽書を手掛ける。
『モーツァルト全集』『バッハ全集』『武満徹全集』『林光の音楽』他多数。
音楽と美術に差はないが信条。
大原哲夫展 ~音額―目と耳の距離は、近い~ より
吉田 克幸(よしだ かつゆき)
1947年生まれ
東京生まれのカバンデザイナー。
吉田カバンのチーフディレクターとして、名作タンカー(TANKER)シリーズをはじめ、数々の名品といわれるカバンを世に排出。
81年に、日本人として始めて「ニューヨーク・デザイナーズ・コレクティブ」のメンバーに選出される。
現在はPorter Classic代表。
ポータークラシックは株式会社吉田より吉田克幸が独立し、息子である吉田玲雄と2007年に設立した会社である。
梶本 晃司 (かじもと こうじ)
1947年、神奈川県生まれ。
学生時代から始めた歴史探歩の会は、すでに30余年、催行回数も約2000回。
国宝(厳島神社)、国の重要文化財(金沢城石川門・能登時国家・宮島千畳閣など)を舞台としたイベントの企画や作詞・演出の分野にまで、その活動は拡がっている。
他地域における新しいテーマ型観光おこしや活性化、さらには学校行事にも取り組み、各地でユニークな企画づくりに携わり、アドバイザーを務める。
著書にひげの梶さん歴史文学探歩シリーズ『利家とまつを歩こう!』『西国街道を歩こう!』『誰も気づかなかった鎌倉を歩こう!』『とっておきの鎌倉を歩こう!
パート2』。
冨田 健次(とみた けんじ)
1947年生まれ
元大阪大学大学院言語文化研究科教授(ベトナム言語学)。
ベトナミスト・クラブ代表。
昭和22年、長崎県生まれ。
東京外国語大学卒業、筑波大学大学院博士課程中退。
大阪外国語大学(現・大阪大学)助教授、教授を経て現職。
著書に『ベトナム語の基礎知識』(大学書林)、『フォーの国のことば』(春風社)など。
*写真とプロフィールは平成25年11月18日産経新聞関西版夕刊より拝借しました。
木野 花(きの はな)
1948年1月8日 -
青森県出身の女優及び演出家。
弘前大学教育学部美術学科卒業。
大学卒業後に中学校の美術教師となるが、1年で退職。
その後に上京して演劇の世界へと入り、1974年には女性だけの仲間5人とともに青い鳥を結成する。
この出来事は小劇場ブームの旗手的な存在になる。
1986年に退団。
村上 富士夫(むらかみ ふじお)
1948年8月生まれ
大阪大学大学院生命機能研究科教授で科学技術振興機構さきがけ統括。
大阪大学基礎工学部卒業、大阪大学大学院修了の工学博士。
研究内容は「脳における神経回路形成と細胞移動」で、『脳の神秘を探る』等の著書がある。
篠田 三郎(しのだ さぶろう)
1948年12月5日 -
東京都港区出身の俳優。
写真は世界的化学者、高峰譲吉博士の活躍に光を当てる映画「TAKAMINEアメリカに桜を咲かせた男」で化学者桜井錠二役で丸メガネをかけた篠田三郎。
桂 文珍(かつら ぶんちん)
本名:西田 勤、1948年12月10日 -
兵庫県出身の落語家。
吉本興業所属。大阪産業大学卒。
新作落語、古典落語の両方演じる。
主な得意ネタとして、新作では自作の「老婆の休日」「ヘイ!マスター」「マニュアル時代」、古典では「愛宕山」「百年目」「胴乱の幸助」「らくだ」等がある。
また、文藝評論家谷沢永一との縁から、1988年より関西大学の文学部非常勤講師を務め(~2003年)、「文化人」としても認められるようになった。
2005年3月に、「ウェークアップ!」が終了したことを機に、テレビ番組にほとんど出演せず、落語家に専念し若手の育成に励むことを表明。
鎌田 實(かまた みのる)
1948年6月28日 -
東京都出身の医師。
東京医科歯科大学医学部卒業。
長野県茅野市の諏訪中央病院医師として、「住民とともに作る地域医療」の最前線に取り組む。
1988年、同病院院長就任。
1991年 日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)を設立。
ベラルーシ共和国の放射能汚染地帯の病院へ18年間に90 回の医師団を派遣し、約14 億円の医薬品を支援。
2004年よりイラクの4つの小児病院へ毎月400万円の薬を送り、難民キャンプでの診察等を実践。
『がんばらない』など著書多数。
鈴木 敏夫(すずき としお)
1948年8月19日 -
日本の編集者、映画プロデューサー。
株式会社スタジオジブリ代表取締役、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団副理事長。
中村 好文(なかむら よしふみ)
1948年 -
建築家。
千葉県出身。
武蔵野美術大学建築学科を卒業。
住宅建築を中心に活動し家具製作も行っている。
1993年に「一連の住宅作品」で第18回吉田五十八賞特別賞を受賞。
塚本 勝巳(つかもと かつみ)
1948年生まれ
岡山県出身の海洋学者。
東京大学農学部水産学科卒業。
東京大学海洋研究所・海洋生命科学部門・教授。
東京大学海洋研究所の教授・塚本勝巳をはじめとする研究チームがニホンウナギの天然卵を世界で初めて採集し、長年の謎だった産卵の位置をマリアナ海嶺の南端近くの海域と特定し、新月に合わせて産卵するとの説を証明した。
現在消費されるウナギの大半は、回遊する天然の稚魚を捕まえて育てる養殖だが、資源の激減が大きな問題になっており、チームは「(卵からの完全な)養殖技術の促進や、ウナギの保全と国際管理の科学的根拠になる」としている。
本川 達雄(もとかわ たつお)
1948年 -
宮城県仙台市出身の生物学者、シンガーソングライター。
東京大学理学部生物学科(動物学)卒業。
1991年より東京工業大学理学部教授。
一般への科学普及に力を入れており、多数の著書がある中で、アロメトリーという日本でなじみの少ない学問を平易に解説した『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)はベストセラーになった。
「歌う生物学者」としても有名で、「生物学の知識を歌にして覚える」という学習方法を提唱しており、本人の作詞作曲による歌をまとめた『歌う生物学
必修編』を出している。
受験参考書として有名なチャート式生物学I、IIも執筆しているが、そのIIの方の巻末には氏の作詞作曲による「人類進化のうた」が掲載されている。
青木 茂(あおき しげる)
1948年 -
大分県出身の建築家。
首都大学東京研究戦略センター教授、株式会社青木茂建築工房主宰、リファイン建築の提唱者。
1971年近畿大学九州工学部(現産業理工学部)建築学科卒業、1977年アオキ建築設計事務所設立、1990年株式会社青木建築工房に組織変更、2006年 - 2007年近畿大学産業理工学部客員教授、芝浦工業大学工学部非常勤講師、首都大学東京大学院工学研究科非常勤講師、2008年より首都大学東京研究戦略センター教授。
博士(東京大学、工学)。
近藤 卓(こんどう たく)
略歴:1948年埼玉県生まれ。
東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。
専門は健康教育学、臨床心理学。高等学校教諭、中学校・高等学校カウンセラー、ロンドン大学精神医学教室・研究員、群馬大学、立教大学、東海大学などを経て山陽学園大学に勤務。
現職:山陽学園大学生活心理学科・教授。日本いのちの教育学会・会長、日本学校メンタルヘルス学会・理事、日本学校保健学会・理事。
資格:臨床心理士、学術博士、高等学校教諭免許(工業・社会)。
特徴:本や論文を読んだり、自らの調査・実践に基づいた研究データを元に、文章を書いたり人前で話をするのが好き。また、車、飛行機、ラジオ、アンプ、無線機、カメラなどの動くモノや機械モノ、ギター、ピアノ、コントラバスなどの音の出るモノが好きで、これらがあれば何時間でも一人遊びをしている。
プロフィールは「reserchmap」から抜粋。
宮地 佑紀生(みやち ゆきお)
1949年1月9日 -
名古屋を中心に活躍するタレント。
ラーメン好きで知られ、ラーメンに関する本を執筆したことがある。
南 こうせつ(みなみ こうせつ)
本名 南 高節、1949年2月13日生まれ
大分県大分市出身のフォークシンガー・元かぐや姫のリーダー。
妻はエッセイストの南いくよ。
大分市(旧:大分郡竹中村)の曹洞宗勝光寺の生まれで、寺は長兄・慧昭が定年退職後に跡を継ぎ、住職を務めている。
富士山の麓などで生活するが、夫婦共に冬の寒さに限界を感じたのがきっかけで現在は大分県杵築市在住。
ちなみに、明豊中学校・高等学校の校歌を育代夫人と共に手がけている(夫人作詞・こうせつ作曲)。
また、杵築市立山香中学校の校歌も手がけている(作詞・作曲ともにこうせつ)
林 望(はやし のぞむ)
1949年2月20日 -
作家、日本文学者。
かつて小説執筆時に「沢嶋優(さわしま ゆう)」のペンネームも使用していた。
東京都墨田区に生まれ。
慶應義塾大学文学部国文学科卒業。
イギリス滞在中の体験から、イギリスの食文化・イギリス人の食生活に関する随筆「イギリスはおいしい」(平凡社・文春文庫)を執筆して、1991年に作家としてデビュー。
同作で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
1993年「林望のイギリス観察辞典」(平凡社)で講談社エッセイ賞受賞。
のちに東京芸術大学助教授となったが、より自由な創作活動をめざして同大学を退職し、現在では随筆・小説などの執筆を中心としている。
自伝ふうの作品は「東京坊ちゃん」と「帰らぬ日遠い昔」で、そこに過去の思い出が記してある。
大竹 まこと(おおたけ まこと)
1949年5月22日 -
日本のお笑いタレント、俳優、ラジオパーソナリティ。
本名大竹 真(おおたけ まこと)。
大竹まこと・斉木しげる・きたろうで構成するシティボーイズのリーダー。
東京都目黒区出身。
血液型A型。
東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業。
双子の兄弟の兄にあたり、大竹オサムは、弟にあたる。
尾身 茂(おみ しげる)
1949年(昭和24年)6月11日 -
日本の医師、医学博士。
地域医療・感染症・国際保健などが専門。
現在、独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)理事長、独立行政法人年金・健康保険福祉施設整理機構理事長、名誉世界保健機関(WHO)西太平洋事務局事務局長、自治医科大学客員教授。
東京都在住。東京都出身。(Wikiより)
上田 正樹(うえだ まさき)
1949年7月7日 -
R&B・ソウルシンガー、シンガーソングライター。
1974年伝説のスーパーバンド“上田正樹とサウストゥサウス”を結成し、当時のバンドブームの頂点にたつ。
その後ソロになり、1983年「悲しい色やね」がシングルチャート1位を獲得。
ソウルフルなボーカルが印象的。
つのだ☆ひろ
本名:角田 博民(つのだ ひろたみ)、1949年8月1日 -
福島県東白川郡塙町出身の歌手、ドラマー、作詞家・作曲家。
有限会社角田兄弟社代表取締役。
次兄に漫画家のつのだじろう、四兄にリュート奏者のつのだたかしがいる。
鷲田 清一(わしだ きよかず)
1949年9月2日 -
日本の哲学者(臨床哲学・倫理学)。
大谷大学教授、大阪大学名誉教授。
関西大学文学部教授、大阪大学総長などを歴任した。
専攻は臨床哲学・倫理学。現象学・身体論を専門としており、ファッションを研究している。
木村 秋則(きむら あきのり)
1949年11月8日 -
世界で初めて無農薬・無施 肥のリンゴの栽培に成功した日本の農家。
株式会社木村興農社代表取締役。
最近では自然栽培の必要性を伝えるため各地の生産者の所にも指導に行き、 全国各地に活動の場を広げている。
絶対不可能と言われていた「りんごの無農薬栽培」を成功させたその実話は 「奇跡のリンゴ」として映画化された。
著書に『リンゴが教えてくれたこと 』『奇跡を起こす 見えないものを見る力』 ほか多数。
テリー伊藤(テリー いとう)
1949年12月27日 -
東京都出身の演出家、テレビプロデューサー、タレント、評論家。
テレビ番組制作会社ロコモーション社長、IVSテレビ制作非常勤相談役、USテレビ放送副社長。
元IVSテレビ制作専務取締役。
芸名の「テリー」は本名の輝夫に因んでいる。
山崎 雅保(やまざき まさやす)
写真と文はサイト「講師の心.com」からお借りしました。
1949年生まれ
心理健康ジャーナリスト/子どものふるさと研究所主宰 心理カウンセリング「ハートピット」所長。
心理セラピストとしてカウンセリングを担当する一方、親子問題、教育問題、更には心の健康に関する執筆活動や教育関連の団体での講演会を精力的に行う。
日経BPオンラインの『土壇場の夫学』を連載中。
豊富なカウンセリング経験に立脚した”現代社会人または子ども達を取り巻く環境”についての講演は全国の教育関連担当者達の間でも好評。
子どものための歌ほか、自作曲によるコンサート活動も行っている。
大野 秀敏 (おおの ひでとし)
1949年 -
岐阜市出身の日本の建築家。
元東京大学大学院教授(新領域創成科学研究科環境学専攻、工学部建築学科兼担)。
槇文彦の事務所出身であり、槇の東大教授時代には助手を務めた。
2005年、fibercity tokyo/2050 という50年後の東京をケーススタディとした縮小時代のメガロポリスに対する都市モデルを発表した。
2011年、東京2050//12の都市ビジョン展においてfibercity tokyo ver.2 を発表した。