現代の丸メガネ~日本編(生年順)
1955年~1959年
吉野 真常(よしの しんじょう)
静岡県伊豆の国市出身。
弘法大師が開いたとされる伊豆市修善寺の修禅寺の住職。
18年ぶりの交代で、2009年7月2日に42世田中徳潤師(当時92)が退任し、43世吉野真常師(当時54)が就任した。
佐野 史郎(さの しろう)
1955年3月4日 -
日本の俳優、映画監督。
佐野家は島根県松江市で代々続く医家。
1975年、劇団「シェイクスピア・シアター」に創設メンバーとして参加。
1980年、唐十郎主宰の「状況劇場」に移り、1984年まで在籍。
1986年に林海象監督の一般公開デビュー作となる『夢みるように眠りたい』の主役で映画に初主演した。
1992年、テレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』の桂田冬彦を熱演及び怪演したことで広く知られるようになり、「冬彦さん」と言えばマザコン男性を意味するようになるほどのブームを生んだ。
正統派演技から、知的ながらもどこか狂気を宿した演技、軽い感じのコミカルな演技まで幅広く得意とする。
1995年からは竹内銃一郎と隔年活動の演劇ユニット「JIS企画」を組んで、本多劇場をメインとして活動していたが2004年から活動を休止している。
青島 広志(あおしま ひろし)
1955年3月31日 -
作曲家。
主に合唱曲・歌曲・管弦楽曲等を作曲。
作曲家の他にもピアニスト・司会者・イラストレーター・少女漫画研究家として活躍するマルチタレント。
テレビへの出演も多い。
東京芸術大学・都留文科大学・都立芸術高校各講師、東京室内歌劇場運営委員、日本現代音楽協会、作曲協議会会員。
東京芸術大学大学院を首席修了している。
秋田 光彦(あきた みつひこ)
浄土宗大蓮寺住職、應典院代表。
1955年大阪市生まれ。
明治大学文学部演劇学科卒業後、東京の情報誌「ぴあ」に入社し、主に映画祭の企画・宣伝を担当。
退社後、映画制作会社を設立、プロデューサー兼脚本家として「狂い咲きサンダーロード」「アイコ16歳」などを発表、1997年に劇場型寺院應典院を再建。
以後10数年間にわたって、市民、コミュニティ、地域資源のあり方を具体的に提案し、実践し、市民活動や若者の芸術活動を支援してきた。
また、人生の末期を支援するエンディングサポートをNPOと協働して取り組むなど、劇場寺院應典院を拠点として、仏教、アート、まちづくり、コミュニティケアなど、「協働」と「対話」の新しい地域教育にかかわる。
2009年度からパドマ幼稚園園長に就任。
相愛大学人文学部客員教授として「人間共生」を指導する他、上町台地からまちを考える会代表理事、総合幼児教育研究会代表理事、上町台地マイルドHOPEゾーン協議会理事、アートミーツケア学会理事、NPO法人コミュニティシネマ大阪理事など活動範囲は幅広い。
「地域を活かす つながりのデザイン」(創元社)「日本人と死の準備」(角川SSC選書)「CAFE:創造都市・大阪への序曲」(法律文化社)「生命と自己」(慶應義塾大学出版会)などを分担執筆、著書に「葬式をしない寺-大阪・應典院の挑戦」(新潮新書)。
近著に釈徹宗氏との共著で「仏教シネマ〜お坊さんが読み説く映画の中の生老病死」(サンガ)。
出典:應典院HP
内田 悟(うちだ さとる)
写真はより拝借しました。
1955年北海道生まれ。
フランス料理店で修業中野菜への関心を深め、26歳より23年間青果納品業に勤務。
その後築地場内の仲卸店で有機無農薬野菜のコーナーを立ち上げたのち、2005年東京中央区にレストラン専門青果店『築地御厨』を創業。
素材にこだわるレストランにお任せで注文を受けるほど、信頼できる青果店として評判を呼ぶ。
2007年からは、一般消費者にもきちんと野菜と向き合ってほしいと、本業のかたわら無料の「やさい塾」を開講。
安全安心な野菜の選び方や扱い方を独自の視点でわかりやすく伝え、幅広い支持を得る。
池田 満(いけだ みつる)
写真はブログ「縄文文字 ヲシテ を 復活!」からお借りしました。
昭和30年(1955年) 大阪府 生まれ
17才の時に、『ホツマ ツタヱ』に巡り会う。
それから同書の研究に没頭し、その成果をまとめて『ホツマ辞典』(展望社)を上梓出版した。
また、原写本の発見保存の分野でも活躍した。
最古の完写本の『ホツマツタヱ』が平成4年(1992)に発見され、池田満が、虫食いになって散逸目前だった写本を修復して保存に糸口を付けた。
なお、池田は江戸期の大坂が生んだ天才町人学者、富永仲基の「加上」の論を高く評価し、自身の研究に活かしている。
ヤジマ キミオ
1955年~ 川越市生まれ。
幼少期よりアートに目覚めるが、成人後やむなく公務員の道に。
1933年より数多くの発砲スチロールアートの製作を手がける。
そして公務員を退職し、現在ではその独特なヤジマワールドを多くの人に見てもらうべく製作に没頭。
藤重 佳久(ふじしげ よしひさ)
福岡県久留米市出身。
武蔵野音大音楽学部器楽科卒業。
卒業後は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団でホルン奏者として活躍。
その後、高校時代の指導者に「精華女子を吹奏楽で盛り上げないか」と誘われ、福岡市の精華女子高校に赴任。
当初5名だった吹奏楽部の生徒も146人の大所帯となり、2011年の全日本吹奏楽コンクール、全日本マーチングコンテストで金賞に輝いた。
西 和彦(にし かずひこ)
1956年2月10日 -
神戸市出身のエンジニア、実業家、教育者。
アスキーの創業者として知られるほか、マイクロソフト副社長も務めた。
アゴラブックス株式会社取締役、学校法人須磨学園学園長、尚美学園大学大学院教授、埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授。
株式会社ITNY代表取締役マネージングディレクター。
早稲田大学理工学部機械工学科中退。
1999年(平成11年)には工学院大学大学院で博士号(情報学)を取得している。
Bro.TOM(ブラザー.トム)
1956年2月23日 -
有限会社「トムさんの会社」所属の歌手、タレント。
本名は小栁 富(こやなぎ とむ)
1983年、同業者でコミック歌手の近藤伸明(現 ブラザー・コーン)とバブルガム・ブラザーズを結成。
ソロとしても活動。
テレビ、CMなどでも活躍。
父親はハワイ先住民マウイ族アメリカ人の軍人で、母親は日本人。
また自身は帰化して日本国籍となった。
百田 尚樹(ひゃくた なおき)
1956年(昭和31年)2月23日 -
放送作家・小説家。
大阪市東淀川区出身。
同志社大学法学部在学中に『ラブアタック!』(ABC)に出演し、みじめアタッカーの常連だった。
妻はその時に出演していたかぐや姫役の女性。
大学生活5年目で中退、その後放送作家となり、『探偵!ナイトスクープ』のチーフライターを25年以上に渡り務めている。
2006年(平成18年)に『永遠の0』(太田出版)を発表し、小説家としてデビュー。
2009年(平成21年)、『BOX!』が第30回吉川英治文学新人賞候補、第6回本屋大賞の5位に選出され、映画化もされた。
2013年10月9日、第26回日本メガネベストドレッサー賞文化界部門を受賞。
竹中 直人(たけなか なおと)
1956年3月20日 -
横浜市金沢区出身の俳優、タレント、コメディアン、映画監督、歌手、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科客員教授。
妻は元アイドル歌手、女優の木之内みどり。
多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒業。
1991年、つげ義春の漫画『無能の人』を映画化する際、奥山和由に才能を見出されて主演を務めると共に監督にも抜擢され、同作にて映画監督デビュー。
1996年には、NHK大河ドラマ『秀吉』で主演の豊臣秀吉役を務めた。
同作は平均視聴率30%を超えた。
映画『無能の人』では、第15回日本アカデミー賞 優秀作品賞、優秀監督賞、優秀主演男優賞を受賞。
その他、コメディアン、俳優、映画監督として、数多くの賞を受賞している。
写真は、映画『226』で磯部浅一を演じた時のもの。
青木 淳(あおき じゅん)
1956年(昭和31年)10月22日 -
日本の建築家。
(株)青木淳建築計画事務所主宰。
日本建築学会賞、吉岡賞など受賞。
ポストモダニズムの気質を残しつつ近代の思想を継承する建築家の一人である。
また、彼の思想「白く塗れ」を提唱し、個々の作品ではモノ同士のヒエラルキーを無くすことを意図している。
なお、青木のアトリエは、四年制(所員は四年で独立)という珍しいシステムを採用しており、教育者として、建築家を多く輩出している。
荒井 良二(あらい りょうじ)
1956年 -
日本を代表する絵本作家の一人。
山形県生まれ。
日本大学藝術学部デザイン学科卒業、1990年に処女作『MELODY』を発表し、絵本を作り始める。
笠井 敏光(かさい としみつ)
1956年~
大阪市出身。
大阪国際大学国際コミュニケーション学部教授。
文化プロデューサー。
大阪府羽曳野市で文化行財政、生涯学習などを担当後、市立生活文化情報センター館長などを歴任。
専門は考古学、文化遺産学、生涯学習論、文化政策学。
竹森 俊平(たけもり しゅんぺい)
写真は「朝日新聞デジタルニュース2015.1.20」からお借りしました。
1956年東京生まれ。
81年慶応義塾大学経済学部卒業。
86年同大学院経済学研究家修了。
同年同大学経済学部助手、86年7月米国ロチェスター大学に留学。
89年9月同大学経済学博士号取得。
現在、慶應義塾大学経済学部教授(経済学博士)。
主な著書は『経済論戦は甦る』『資本主義は嫌いですか』『ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った』など。
品川 明(しながわ あきら)
写真と文は「yahoo JAPAN クローズアップ 夏バテ解消プログラム」から拝借しました。
1956?年生まれ
学習院女子大学教授、農学博士。
フードコンシャスネス プロジェクトリーダー。
味わい教育(フードコンシャスネス論)、環境教育、水圏生物化学、生理生態学、水圏の生物、特に河川・干潟・磯浜に生息する生物の環境適応能や環境浄化修復能をテーマとしている。
また、日本の食文化を支える魚介類や魚醤などのうま味成分についても研究している。
宮坂 直孝(みやさか なおたか)
写真はサイト「大吟醸を楽しむ会」よりお借りしました。
1956?年生まれ
慶應義塾大学卒業、MBA取得。
創業1662年、長野県諏訪市にある造り酒屋の老舗「宮坂醸造株式会社」の代表取締役社長。
諏訪大社のご宝物「真澄の鏡」を酒名に冠した「真澄」は美酒として海外でも人気。
2000年より清酒の海外輸出に本腰を入れ始め、日本食ブームとあいまって、フランス、ニューヨークなど、世界20カ国への輸出売り上げが順調に伸びている。
「日本酒を世界酒へ」をキーワードに、世界に向けて「日本酒文化」を発信中。
2013年11月1日に国連本部で日本酒レセプションを初めて開催した。
山崎 敏正
1956年生まれ?(シルベストサイクル)
「てnち」のニックネームで親しまれているシルベストサイクル総括店長。
選手としてはモスクワオリンピックの日本代表に選出された経験を持つ一方で、サンツアーの開発部に在籍していたことから機材への造詣も深い。
現在もロードレースで現役で、実業団ロードで入賞する好調ぶり。
シルベストサイクルは梅田、箕面、京都と関西に3箇所に店舗を構え「頑張るアスリートのためのショップ」として信頼の技術力や確かなフィッティングサービスなどを提供している。
加えて、ロードレースやロングライド、トライアスロン、トレイルランなど様々なジャンルのソフトサービスを展開している。
「cyclowired.jpスポーツサイクリング情報ステーション」より
町田 健(まちだ けん)
1957年-
言語学者、名古屋大学大学院文学研究科教授。
専門は言語学。
文の意味と構造の関係、ソシュール学説、フランス語などを研究。
初心者には難解とされる生成文法等を分かりやすく解説する。
日本語文法にも精通しており、文部省科学研究費で和仏機械翻訳のための基礎的研究に取り組むなど幅広いジャンルで活躍している。
また最近ではタモリのジャポニカロゴス等のテレビ番組にも出演している。
チョー
1957年12月15日 -
声優、俳優。
埼玉県鴻巣市出身。
二松学舎大学文学部国文学科卒業。
旧芸名は長島 雄一(ながしま ゆういち)、現芸名の「チョー」は、かつてNHK教育テレビの『たんけんぼくのまち』で「チョーさん」として出演していたことに由来する。
代表作は、吹き替えでは『ロード・オブ・ザ・リング』(ゴラム)、『太王四神記』(ヒョンゴ)、アニメでは『ONE PIECE』(ブルック)、その他『いないいないばあっ!』(ワンワン)、顔出し出演では『たんけんぼくのまち』(チョーさん)など。
鈴木 一義(すずき かずよし)
1957年生まれ
新潟県出身。
国立科学博物館理工学研究部科学技術史グループ長。
東京都立大学工学部卒。
世界文化遺産委員、ものづくり日本大賞選考委員。
全国各地の博物館展示の監修にもあたっている。
国立科学博物館HP~日本の科学技術の発達過程(特に近世以降)を専門とし、在来技術や 近代技術、現代の産業技術に関わる直接的な資料の収集、調査、研究 を行っています。
江戸時代のからくり人形、鉱山・測量技術から、 明治の造船、紡績、現代の自動車、飛行機、ロケットまで、研究対象は 非常に広範囲にわたります。
吉富 有治(よしとみ ゆうじ)
1957年生まれ
愛媛県出身のジャーナリスト。
金融専門誌、写真週刊誌の記者を経てフリーに。
金融記者時代は中小金融機関を、週刊誌記者時代は経済事件などを担当。
フリーに転身してからは雑誌で政治・経済記事を、また新聞でコラムなどを執筆。
テレビでは情報番組のコメンテーターも務める。
現在は地方政治や自治体、また企業取材を中心に活動している。
「橋下徹 改革者か壊し屋か 大阪都構想のゆくえ」著者紹介欄より抜粋
澤田 哲生(さわだ てつお)
写真は、ブログ「ぼちぼちいこか。。。」より拝借しました。
1957年 -
兵庫県生まれ。
1980年、京都大学理学部物理科学系卒業。
専門は核融合学、宇宙炉工学、原子核工学、環境技術・環境材料。
特に原子炉物理、原子力安全(高速増殖炉の炉心崩壊事故および軽水炉の過酷事故、核融合システム安全など)、核不拡散・核セキュリティの研究に従事してきた。
社会システムとしての原子力、原子力の初等・中等教育に関心を持つ。
『つーるdeアトム』を主宰し、原子力立地地域の住民と都市の消費者との絆を結ぶ活動などを行ってきた。
2005年3月、日本原子力学会社会環境部会第1回優秀活動賞を受賞。
日本エネルギー会議の発起人のひとり。
森本 紀行(もりもと のりゆき)
1957年?-
東京大学文学部哲学科卒業。
1981年4月、三井生命保険相互会社入社。
その後、90年ワイアット株式会社(現・ワトソンワイアット)へ入社し、92年には取締役に就任。
日本発初の企業年金ファンド等の機関 投資家向け投資コンサルティング事業を手がける。
2002年、HCアセットマネジメントを設立。
松延 康(まつのぶ しずか)
北里大学大学院獣医畜産学研究科博士課程修了、農学博士 青森中央短期大学専任講師、国立精神神経センター研究員を経て学習塾「夢Juku」主宰。
地域の子どもたちの学力向上に努める。
東京テクニカルカレッジ、および東京バイオテクノロジー専門学校などで、生物学、同実習、栄養生理学、実験動物学、食品衛生学、統計学を担当している。
郵政大学校では統計手法を担当した。
平成20年、理科教育研究フォーラムを設立し、独立行政法人青少年教育振興機構より助成金を得て「親子理科実験教室」を開催し、その活動は読売新聞、TBSラジオ等で紹介された。
都内小中学校の要請を受けて特別講師として年間50クラス以上の実験授業を行うとともに、特認講師として小学校理科専科、中学校理科担当講師として学校教育の現場にも携わっている。
出典:NPO法人子育て未来研究所HP
三中 信宏(みなか のぶひろ)
写真は茂木健一郎「クオリア日記」から拝借しました。
向かって右が三中氏
1958年2月27日-
京都市生まれの進化生物学・生物統計学研究者。
東京大学大学院農学系研究科修了。
主として系統樹の推定方法に関する理論を研究。
遺伝子の配列情報に基づく巨大系統樹推定の方法論と高速なコンピュータ・プログラムの開発などに従事している。
1993年度日本生物地理学会賞受賞(首席)、2003年度日本進化学会・教育啓蒙賞受賞。
『生物系統学』、『系統樹思考の世界:すべてはツリーとともに』など著書多数。
荒井 広幸(あらい ひろゆき)
1958年5月15日 ‐
日本の政治家。
新党改革所属の参議院議員(2期)。
新党改革幹事長。衆議院議員(3期)、福島県議会議員(1期)、新党日本幹事長、改革クラブ幹事長を歴任。
第21回参議院議員通常選挙を目前に控えた2007年7月、滝実と共に新党日本のマニフェストを党首の田中康夫が役員会での議決を経ずに独断で改定し、特に日本国憲法第9条に関する部分について議論が尽くされなかった点を批判。
田中による党の私物化を非難し、新党日本の解党を要求したが、田中がこれを拒絶したため、荒井は記者会見で新党日本の「解党」を宣言した。
以後、改革クラブに参加するまでは無所属であった。
なお、党幹事長である荒井が「解党」を宣言したものの新党日本は存続し、第21回参議院議員通常選挙での得票により、政党助成金も受け取るための政党要件をクリアした。
山田 五郎(やまだ ごろう)
写真は、「東京新聞 TOKYO WEB」からお借りしました。
1958年12月5日 -
東京都渋谷区出身の美術評論家、タレント、コラムニスト。
元講談社編集者。
本名は武田 正彦(たけだ まさひこ)。
愛称は教授。五郎さん。
植村 秀樹(うえむら ひでき)
1958年 -
日本の国際政治学者。
流通経済大学法学部教授。
専攻は、国際政治学、日本政治外交史。
愛知県新城市生まれ。
1983年早稲田大学法学部卒業。
読売新聞社勤務を経て1994年青山学院大学国際政治経済学研究科博士課程修了、博士(国際政治学)。
文部省教科書調査官、放送大学非常勤講師を経て、現職。
専門分野は、わが国の安全保障。
新見 隆(にいみ りゅう)
写真は、「慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center」からお借りしました。
1958年 -
広島県出身。
慶應義塾大学文学部フランス文学科卒業。
1982年から1999年2月まで、西武美術館・セゾン美術館の学芸員として、展覧会の企画を担当。
イサム・ノグチ庭園美術館学芸顧問。
インディペンデント・キュレーター。
慶應義塾大学アート・センター訪問所員。
千葉大学教育学部大学院美術専攻、慶應義塾大学理工学部、東京造形大学比較造形学科などの講師を経て、1999年より武蔵野美術大学芸術文化学科教授。
専門は、近・現代デザイン史・美術史、現代芸術論、アート・マネージメント。
ジャポニスムを端緒とした比較空間、空間感覚学から、美術・デザイン・建築の影響史、受容史、比較文化史、芸術社会学。
出典:ウィキペディア
鈴木 惣一郎(すずき そういちろう)
1959年5月11日
静岡生まれ。
細野晴臣氏プロデュースのノンスタンダードレーベルから「ワールドスタンダード」としてデビュー。
以来細野晴臣の『HOSONO BOX』やキングの「ヴァンガード・シリーズ」などの監修をはじめ、あがた森魚、イノトモ、田辺マモルなど多数のCDのプロデュース、『モンド・ミュージック』シリーズや『モンドくん日記』などの著書、CDのライナーなどでも幅広く活躍中。
小林 隆(こばやし たかし)
1959年8月20日 -
日本の俳優。
ケイファクトリー所属。血液型O型。 埼玉県川越市出身。
埼玉県立松山高等学校卒業、明治大学文学部文学科英文学専攻卒業。
明治大学在学中は体育会ヨット部に所属。
4年時にはスナイプ級で関東インカレ団体優勝。
三谷幸喜が主宰していた劇団「東京サンシャインボーイズ」の出身。
その影響で三谷作品に起用されることが多い。
代表作として、フジテレビ放送の『古畑任三郎』シリーズの向島音吉役や、NHK大河ドラマ『新選組!』の井上源三郎役で知られる。
2014年には市村正親の病気療養に伴う代役として、オムニバスドラマ『おやじの背中』最終話の主演に抜擢された。
ご紹介者:nocchi様
山田 卓司(やまだ たくじ)
1959年9月18日 -
静岡県出身のモデラーで、日本のプロモデラー界を代表する作家の一人である。
プロデビュー以前より、タミヤ模型の主催する「人形改造コンテスト」の常勝メンバーとして名を馳せる。
TVチャンピオンプロモデラー選手権で最大3連覇、5回の優勝を飾っている。
その情景を切り取るセンスのよさから「情景王」の異名をとる。
また、世界的な模型コンテストユーロミリテールで、1995年クラス15(情景部門)において、金賞を受賞。
2006年には、浜松市美術館にて個展を開催。
プラモデルやガレージキットなど、既成のモデルを利用したジオラマ作品が美術館の企画展として開催されるのは異例の事である。
氏の本領が発揮されるのは、なんといってもジオラマで、TVチャンピオンで優勝した際のジオラマも「引越しのおもいで」や「終戦のおもいで」といった昭和ノスタルジーに溢れている。
いまみち ともたか
写真はブログ「物欲夫婦の野営記録」からお借りしました。
本名 今道 友隆(いまみち ともたか)、1959年10月12日 -
ロックバンドBARBEE BOYSのメンバーでギタリスト・作曲家。
東京都出身。
父親は、哲学者、美学者であった今道友信(元東京大学名誉教授、元聖トマス大学名誉教授)。
ピアニストの川口信子は実妹。
また、母親は元ソプラノ歌手で音楽大学の教授であったが、幼少時に両親が離婚し、父親の元で育てられる。
キャロルのファンで、内海利勝がストラトを使っていたため、その後ずっとストラトを使い続ける。
通称イマサ。
出典:ウィキペディア
岡ノ谷 一夫(おかのや かずお)
1959年生まれ。
1983年慶應義塾大学文学部心理学専攻卒業。
89年米国メリーランド大学心理学部博士課程修了、Ph.D.取得。
専攻は神経行動学。
上智大学生命科学研究所、農林水産省鳥害研究室、慶應義塾大学心理学研究室などで鳥の発声の研究を続け、94年千葉大学文学部助教授、96年科学技術振興事業団の「さきがけ研究21」に兼任研究者として参加。
2004年より理化学研究所チームリーダー。
主な著書に『小鳥の歌からヒトの言葉へ 』(岩波 科学ライブラリー)、『心理学辞典』(丸善)など。
浅羽 通明(あさば みちあき)
1959年 -
神奈川県横須賀市生まれの評論家。
早稲田大学法学部卒。
1981年司法試験合格するも司法修習生時代に「自分には合わない」との理由でドロップアウト。
法政大学非常勤講師。
みえない大学本舗主宰。
早稲田セミナー専任講師時代には公務員講座にて政治学を長年担当。
文筆家としても、社会評論、思想、哲学方面の著作が多数あり。
1990年代に漫画家小林よしのりのブレーンとなり、小林の著作中に「思想家」として登場し注目される。
しかし『戦争論』以後の小林とは一線を引き、歴史教科書問題その他でも中立的な立場を取っている。
著書に「大学で何を学ぶか」(幻冬舎文庫)「思想家志願」(幻冬舎)「アナーキズム」(筑摩書房)「ナショナリズム」(筑摩書房)などがある。
中村 正人(なかむら まさと)
平成22年12月8日付け産経新聞掲載写真
1959年-
JAXA宇宙科学研究所職員、東京大学卒業。
専門は惑星大気・プラズマ物理学。
2010年12月8日、中村教授は日本初の金星探査機「あかつき」が金星の軌道に入れなかった事を発表した。
その際の丸メガネを掛けた写真。
川端 幹人(かわばた みきと)
1959年 -和歌山県出身の、編集者、ジャーナリスト。
中央大学法学部法律学科卒業。
自販機本の編集者、映画の脚本家などをへて、噂の眞相に入社し岡留安則編集長のもとで副編集長に就任する。
同誌では、皇室、検察スキャンダル・扇動記事などを執筆。
2001年には岡留とともに、自称右翼団体の襲撃をうけて負傷したという。
同誌の休刊後は、フリーのライター・編集者として活動。
マガジンハウス「ダカーポ」等の編集に携わった。
著書に『Rの総括』、『日本新党のウソ、平成維新のデマ』、『事件の真相!』、『中吊り倶楽部』、『タブーの正体!』など。