~丸メガネの情報が満載!~

丸メガネの情報が満載!

現代の丸メガネ~日本編(生年順)

1965年~1969年


松原 桃太郎(まつばら ももたろう)

1965年9月2日 -
愛称:マッちゃん、デブちゃん。
新潟県新潟市出身。
コントアイドルグループCHA-CHAのメンバー。
グループ解散後は“松原ひとし”に改名し、元・「おめで隊」の奈津あつし(その後佐藤あつしに改名)と共に、コントコンビ「まんもす2」として活動していたが、こちらも間もなくして解散。
芸能界の表舞台から去る。
講談師の神田山陽と顔が酷似しており同一人物との誤解があるが、全くの無関係。

古田 新太(ふるた あらた)

1965年12月3日 -
日本の俳優、声優、DJ。
本名、古田 岳史(ふるた たけふみ)。
愛称は古ちん。
兵庫県神戸市西区出身。
リコモーション所属。173cm、70kg。
芸名である「新太」は亡き実父の本名に由来する。
妻は元タレントの西端弥生。一女あり。

香川 照之(かがわ てるゆき)

1965年12月7日 -
東京都出身の俳優。
父は歌舞伎役者の三代目市川猿之助、母は女優の浜木綿子。
東京大学文学部卒業。
写真は映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―太平洋戦争70年目の真実―』でジャーナリスト宗像景清役を演じる丸メガネを掛けた香川照之。

本木 雅弘(もとき まさひろ)

1965年12月21日 -
日本の俳優。
愛称「モックン」、埼玉県桶川市出身。この地で15代続く農家の次男。
3人組アイドル「シブがき隊」を解散したのち、本格的な俳優として活躍。
2009年には自ら製作を発想し、主演もした『おくりびと』がアカデミー賞外国語映画賞を受賞。
ロックミュージシャン内田裕也と女優の樹木希林の間に生まれた娘、内田也哉子と結婚。
婿養子となっている。

奥泉 和也(おくいずみ かずや)

山形県鶴岡市出身
クラゲの展示種類数世界最多(30種)としてギネス記録に認定(2012年3月22日)された鶴岡市立加茂水族館副館長。
四角い水槽だとクラゲはガラスにぶっかって死んでしまうことから、奥泉氏は八角形の水槽を考案。
円形の水槽は非常に値段が高く、四角い水槽の端と端に板を45度で張れば、円に近くなるのでは、と考案されたもので、現在では日本中のクラゲの展示に使われている。

3代目 神田 山陽(かんだ さんよう)

本名:稲荷 啓之(いなり ひろゆき)、1966年1月14日 -
日本で活躍している講談師。
北海道常呂郡留辺蘂町(現・北見市)出身。落語芸術協会会員。
女満別小学校・女満別中学校・北海道網走南ヶ丘高等学校卒業。
小中高と網走郡女満別町(現・大空町)で暮らす。
高校卒業後、様々なアルバイト等を経て、1990年(平成2年)に2代目神田山陽に入門。「神田北陽」を名乗る。
1994年(平成6年)4月に二ツ目昇進。
2000年(平成12年)11月、師匠・2代目山陽死去により同門の3代目神田松鯉(かんだしょうり)門下へ移動。
2002年(平成14年)8月に真打となり、「3代目 神田山陽 」を襲名する。
2005年(平成17年)9月から、文化庁の文化交流使としてイタリアに在住(2006年8月まで)。
イタリア各地で講談を披露した。
にほんごであそぼ(NHK教育テレビ)で一躍有名になった。
1998年(平成10年)、国立演芸場花形演芸会銀賞受賞。
2002年(平成14年)、文化庁芸術祭演芸部門新人賞受賞。

梶原 善(かじはら ぜん)

1966年2月25日 -
俳優。
岡山市出身。
血液型はA型。
苗字は「かじわら」ではなく「かじはら」と読む。
東京サンシャインボーイズ出身の俳優で、三谷幸喜作品に多く登場する。
近藤芳正とともに、三谷の映画監督作品全てにキャスティングされている。
また、近年は劇団☆新感線作品にも多く客演。
写真はNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」で戌井慎二役の丸メガネ姿。

沼田 識史(ぬまた さとし)

1966年9月25日 -
東京都出身の現代美術家、画家。
主に人物を対象にした現代美術作品で知られている。
キャンバスにアクリル絵具で描き、唯一無二のスタイルで既成概念に囚われず、自由な発想の独特な雰囲気や個性を持つ人物画を描いたり、ポップアート、抽象的な絵、コラージュなども創る。
写真を撮ることもある。

佐々木 実(ささき みのる)

写真と文は、プレジデント社が提供するビジネスパーソンのための総合情報サイト「PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)」からお借りしました。

モリナガ ヨウ

写真は「日経ビジネスオンライン」からお借りしました。
1966年 -
日本の漫画家、イラストレーター。
東京都渋谷区出身。
早稲田大学教育学部卒業。
学生時代は早稲田大学漫画研究会に所属。
ミリタリーモデル製作を趣味としており、模型雑誌「モデルグラフィックス」への投稿を経て同誌や姉妹紙「アーマーモデリング」で作例やイラストを手掛け、海洋堂の戦車食玩「ワールドタンクミュージアム」の同封解説書イラストも担当している。
空想科学研究所工場長もしている。
2016年、「築地市場 絵でみる魚市場の一日」で第63回産経児童出版文化賞大賞受賞。
出典:ウィキペディア

ヤマシタ リョウ

写真はブログ「LUNETTES du JURA OTOTESANDO-hills」より拝借いたしました。

東京生まれ。現代アーティスト・眼鏡作家。
デザインから金属の鋳鍛造・成形まで、制作工程のすべてをひとりで手がける眼鏡作家・現代アーティスト。
大学で歴史学(古代~近世服飾史及び装身具)を研究。
とりわけ和眼鏡に着目し、その興味から職の継承の大切さに気づき、制作者としての道を目指す。
アイウェアにおいて初めてのオートクチュールスタイルを確立し、2009年からオーストリア・ハプスブルグ家御用達としてフランチェスカ大公妃に愛用されている。
眼鏡をもっとも身近な芸術と位置づけ、独自の造形を発展させ、芸術と道具の垣根を越えて、既成概念にとらわれない眼鏡の芸術に挑む。
ヤマシタリョウ(現代アーティスト、眼鏡作家)オフィシャルサイトより抜粋
*数多くの個性的な眼鏡を製作する中、映画(実写版)「忍たま乱太郎」のメガネも手がけている。

小野 直哉(おの なおや)

明治鍼灸大学卒業後、京都大学大学院人間・環境学研究科、京都大学大学院経済学研究科、東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科医療経済学分野を経て、現在、京都大学大学院医学研究科在籍。
現在、未来工学研究所21世紀社会システム研究センター主任研究員兼Executive Fellow, International Institute of Health and Human Services, Berkeley, U. S. A., 明治国際医療大学非常勤講師。
主な業績:「諸外国における補完(相補)代替医療の利用状況」『維持透析患者の補完代替医療ガイド』医歯薬出版株式会社2010年、「世界の統合医療の現状―日本の鍼灸の在り方を考えるために―」『社会鍼灸学研究2009』社会鍼灸学研究会2010年ほか。

立川 キウイ(たてかわ きうい)

写真はブログ「立川キウイの小部屋」よりお借りしました。
1967年1月11日 -
落語家。
本名、塚田 洋一郎(つかだ よういちろう)。
東京都板橋区出身。
落語立川流所属。
立川談志直門。
2011年7月前後に真打昇進。

2代目 桂 南天(かつら なんてん)

1967年12月27日 -
大阪府枚方市出身の落語家。
本名は尾崎 裕一(おざき ゆういち)。
大阪芸術大学卒業。
出囃子は「復興節」。
1991年3月に3代目桂べかこ(現3代目桂南光)に入門。
同年8月、に桂こごろうの名前で「岡町落語ランド」にて初舞台。
2004年桂雀喜と漫才コンビ「ねこまんま」を結成。
2011年6月6日、記者会見にて正式に2代目桂南天の襲名が発表され、2012年4月15日のサンケイホールブリーゼを皮切りに襲名披露興行を行う。
またスポンサーに常盤薬品工業の「南天のど飴」がつく。
草野球チーム「モッチャリーズ」メンバー。

三宅 伸一郎(みやけ しんいちろう)

1967年岡山県倉敷市出身。
大谷大学卒業。
大谷大学大学院文学研究科博士課程満期退学。
大谷大学特別研修員、同非常勤講師、富山大学非常勤講師を経て、2003年より大谷大学文学部講師。
専門分野はチベット学。

桂 福点(かつら ふくてん)

1968年生まれ
全盲の落語家。
先天性緑内障で生後すぐに右目を失明。
中学時代に左目も悪化し、視力を失う。
その後、幼少時から好きだった落語や音楽のほか、障害者支援などの活動に参加。
手話落語にも取り組んでいる桂福団治さんの弟子。

(第15代)酒井田 柿右衛門(さかいだ かきえもん)

1968年 - 、旧名:浩(ひろし)、2014年に襲名)
佐賀県有田の陶芸家、初代は江戸時代。
代々その子孫(後継者)がこの名称を襲名している。
夕日に映える柿の実を見て初代が赤絵磁器を作ったとする逸話が「陶工柿右衛門」や「柿の色」の題で作者・友納友次郎により大正時代の小学校の教科書に掲載され、広く知られていたが、これはオランダにおける陶工の琺瑯彩に関するエピソードを柿右衛門に当てはめたものである。

大棟 耕介(おおむね こうすけ)

1969年5月17日生まれ
愛知県出身。
道化師の会社“プレジャー企画”代表。
名古屋鉄道に勤務していた94年に道化師の養成講座を受講し、同じ講座の受講生とともに道化師チーム「プレジャーB」を結成。
休日を使って活動を続けたが、98年に退社して道化師の育成、派遣を行う会社「プレジャー企画」を設立した。
2004年、名古屋第一赤十字病院でホスピタル・クラウンの活動を開始。
06年、NPO法人「日本ホスピタル・クラウン協会」設立。
映画「パッチ・アダムス」のモデル、ハンター・アダムスとの親交も深い。
2003年に道化師の世界大会“WCA”でシングル部門2位、2008年にはグループ部門1位を受賞した。
著書に「ホスピタルクラウン病院に笑いを届ける道化師」など

エンゾ 早川(えんぞ はやかわ)

1969年9月生まれ
早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒。
茅ヶ崎にある自転車店「エイドステーション」の店主で、「ロードバイクバイブル」、「ロードバイクに乗るときに読む本」、「ラクダのコブのある自転車乗りになりたい」「まちがいだらけの自転車えらび」など著書多数。

湯浅 誠(ゆあさ まこと)

1969年 -
東京都小平市出身。
東京大学法学部卒業。
社会運動家・活動家・自立生活サポートセンター・もやい事務局長・反貧困ネットワーク事務局長。
テレビ・新聞などマスメディアに論評を求められることも多い。
21世紀初頭に顕在化した日本の貧困問題に関する活動と発言を続けている。

菱川 勢一(ひしかわ せいいち)

写真は、企画デザインチーム「ヒュージ」さんのブログから拝借しました。

1969年 -
東京都大田区出身の映像作家、アートディレクター、クリエイティブディレクター、写真家。
数多くの空間映像の演出を手掛け、1997年、ナガオカケンメイとともに、グラフィックデザインと映像の複合的活動拠点としてドローイングアンドマニュアルを設立。
同年、モーショングラフィックスムーブメントの先駆けとなるモーショングラフィックス展を六本木アクシスギャラリーにて開催、映像構成ディレクターとして成功を収める。
モーションロゴのデザインは50企業を越える。
2003年、メディアの複合的デザインスタジオとしてスタンダードシリーズ設立。
映像デザインやWebデザイン、グラフィックデザインのほかブランドデザイン、インタラクションデザインなどで活躍中。
ドローイングアンドマニュアル株式会社代表取締役社長。
2008年 武蔵野美術大学基礎デザイン学科教授に就任。
2011年 カンヌ国際広告祭にて同氏が監督を務めたNTTドコモCM「森の木琴」が3部門で受賞した。
同年、初の写真展「存在しない映画、存在した光景 (Found stories from a movie that doesn't exist.)」を開催。
京都ANTE ROOM KYOTO、東京 Mercedes-Benz Connection、金沢を巡回した。
2012年、金沢で開催のeat KANAZAWAの総合プロデューサーを務め、多くの観客動員を記録した。
金沢の教育機関betaにて理事および講師に就任。
2012年、カンヌ国際広告祭(Cannes Lions) Film Craft部門審査員を務める。

水守 啓(みずもり けい)

写真は水守啓氏のオフィシャルウェブサイトからお借りしました。
「自然との同調」を手掛かりに神秘現象の解明に取り組むナチュラリスト、 サイエンスライター、リバース・スピーチ分析家。
オカルトや都市伝説を話のネタに終わらせず、科学的洞察力の育成に導く解説を行うことでも知られる。

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