~丸メガネの情報が満載!~

丸メガネの情報が満載!

現代の丸メガネ~日本編(生年順)

1960年~1964年代


笑福亭 晃瓶(しょうふくてい こうへい)

1960年3月24日 -
大阪市東住吉区(現・平野区)長吉長原出身の落語家。
松竹芸能所属。
本名は廣田 勝(ひろた まさる)。
笑福亭鶴瓶の二番弟子で、1984年4月21日入門(一番弟子は笑福亭笑瓶)。
近年は、落語家、ラジオパーソナリティーのみならず、講演会の講師としても活躍。
2013年、作家デビュー。
2012年3月には、自ら企画して「東北応援ツアー」を実施した。

福田 和也(ふくだ かずや)

1960年(昭和35年)10月9日 -
文芸評論家。
『奇妙な廃墟』で出版デビュー。
福田が期待したような反響を呼ばなかったが江藤淳に見出され、『諸君!』に「遥かなる日本ルネサンス」を書き「大型新人デビュー」と宣伝された。
のち、江藤に声をかけられたから保守派になったと言われるゆえんである。
保守派の論客ではあるが「既存体制の擁護」という狭い意味での保守からは外れている。
幅広い分野で旺盛な執筆活動を続るかたわらラジオ、テレビにも出演。
また、慶應義塾大学環境情報学部で教鞭をとっている。
福田ゼミ出身者には、一青窈、佐藤和歌子、酒井信、大澤信亮などがいる。

桂 九雀(かつら くじゃく)

1960年12月2日 -
広島県広島市出身の落語家。
本名は室屋 聖(むろや とおる)。
上方落語協会会員(1994年脱会。2008年12月復帰)。
中学以降は大阪に在住。
ネタ数の豊富さは上方落語界では屈指。
古典を型通りやるもの、古典に新しい解釈・手法・落ちなど新味を加えたもの、新作、復活もの、と多岐にわたる。
趣味は将棋とクラリネット。

布施 英利(ふせ ひでと)

1960年 -
芸術学者。
群馬県出身。
東京芸術大学大学院在学中に「脳の中の美術館」(筑摩書房)でデビュー。
東京大学医学部助手を経て、現在は東京芸術大学准教授。
日本の美から西洋まで、さまざまな芸術を研究する。
専門は美術解剖学。
東京大学助手時代は、「バカの壁」などで知られる解剖学者・養老孟司の研究室に勤務。
主な著作に「はじまりはダ・ヴィンチから-50人の美術家を解剖する」、「君はピカソを知っているか」など多数。

橳島 次郎(ぬでしま じろう)

写真は朝日新聞の医療サイト「apital」からお借りしました。

1960年 横浜に生まれる。
1988年3月 東京大学大学院社会学研究科博士課程修了、91年3月同研究科より博士学位取得(社会学博士)
専門:生命科学・医学の研究と臨床応用を中心にした、科学政策論
著書:『神の比較社会学』弘文堂
『脳死・臓器移植と日本社会――死と死後を決める作法』弘文堂
『優生学と人間社会――生命科学の世紀はどこへ向かうのか』講談社(講談社現代新書)
『先端医療のルール----人体利用はどこまで許されるのか』講談社 など

守口 徹

1960?生まれ
1982年 横浜市立大学を卒業後、製薬会社の薬理部門に勤務。
国立がんセンター研究所、東京大学 薬学部に研究出向の後、同大学で博士号を取得し、1997年 客員研究員として米国国立衛生研究所で脂肪酸と脳機能に関して研究。
2008年より麻布大学 生命・環境科学部に奉職、現在に至る。
日本DHA食品普及・認定協会 学術委員、日本脂質栄養学会 副理事長。
出典:麻布大学大学教員プロフィール

藤木 勇人(ふじき はやと)

沖縄県を拠点に日本全国で活動するマルチタレント。
自称“うちなぁ噺家”。
米軍占領下の沖縄・コザ(現沖縄市)で生まれ育つ。
20代の頃、現在沖縄県議会議員の玉城満が主宰していた「笑築過激団」のメンバーとして活動する一方、並行して照屋林賢率いるりんけんバンドのメンバーともなった。
30代になってどちらからも抜けて一本立ちし、以後落語家立川志の輔に師事し、落語家としてではないが、今日に至るまで一人で活動する。
2001年に放送されたNHKの『ちゅらさん』シリーズに方言指導者を兼ねて出演したことで、彼が語る沖縄の言葉とともに全国区の人気を得るようになる。
以後は沖縄県以外での活動の幅も増えており、現在は沖縄噺家、役者、コメディアン、随筆家、沖縄方言指導者、琉球文化研究者など、幅広い顔を持つ。

高橋 克実(たかはし かつみ)

写真は「歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・」さんからお借りしました。

1961年4月1日 - 日本の俳優、マルチタレント、司会者。
愛称はカッツミー。
新潟県三条市出身。
シス・カンパニー所属。

三谷 幸喜(みたに こうき)

1961年7月8日 -
東京都世田谷区出身の劇作家、脚本家、演出家、俳優、映画監督。
元妻は女優の小林聡美。
日本大学藝術学部演劇学科卒業。
「幸喜」という名前は、当時大関で、後に横綱となった大相撲力士、大鵬幸喜にあやかったもの。
少年時代には、『とんねるず』の木梨憲武と同じサッカークラブに所属していた。
大学在学中の1983年、劇団 「東京サンシャインボーイズ」を結成。
その後、放送作家としても活躍。
またドラマ『やっぱり猫が好き』の脚本を多数回担当したことなどからテレビドラマの世界でも注目を集め、1997年には初の映画監督作品として『ラヂオの時間』を発表し、高い評価と多くの映画賞を獲得した。

久保田 雅人(くぼた まさと)

1961年8月8日 -
ケイズマシーン所属の男性タレント・声優である。
東京都出身。
立正大学文学部史学科卒業。
NHK教育テレビ『つくってあそぼ』(子供向け工作番組)の「ワクワクさん」として出演。

中井 貴一(なかい きいち)

1961年9月18日 -
東京都世田谷区出身の俳優。
父の佐田啓二、姉の中井貴惠も揃って俳優という芸能一家に生を受けた。
3歳の誕生日を目前にして交通事故で父を亡くす。
父の17回忌の法要の際にスカウトされ、本格的に俳優としての活動を開始したのは成蹊大学在学中で、映画『連合艦隊』への出演でデビュー。
同作品で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。
『ふぞろいの林檎たち』での主役を演じるなど、ヒット作多数。
上の写真は平成2年のドラマで金田一耕助役を演じた時の丸メガネ姿。
ハンチング帽に丸メガネの金田一。

早見 裕司(はやみ ゆうじ)

1961年 -
日本の小説家・脚本家。
青森県出身。
1988年『夏街道[サマーロード]』(徳間アニメージュ文庫)でデビュー。
日本推理作家協会会員・本格ミステリ作家クラブ会員。
自らは「奇談小説家」を名乗る。
沖縄県浦添市在住。

長谷川 義史(はせがわ よしふみ)

1961年生まれ
大阪府藤井寺市出身のイラストレーター。絵本作家。
妻もイラストレーターのあおきひろえ。
「プレイガイドジャーナル」のカット等を担当。
1990年JACA日本イラストレーション展入選。
「おたまさんのおかいさん」(解放出版社)で講談社出版文化賞絵本賞を受賞。
「スモウマン」(講談社刊)、「うえへまいりまぁす」(PHP研究所)、「かあちゃんかいじゅう」(ひかりのくに刊)などの作品がある。
また、「読み聞かせの会」でも活動。

谷口 榮(たにぐち さかえ)

1961年、東京都葛飾区生まれ。
国士舘大学文学部史学地理学科卒業。
葛飾区郷土と天文の博物館学芸員。

中矢 伸一(なかや しんいち)

1961年生まれ
「日本弥栄 (にほんいやさか) の会」代表。
3年に及ぶ米国留学生活を通じ、日本と日本民族の特異性を自覚。
帰国後、英会話講師・翻訳・通訳業に携わる一方、神道系の歴史、宗教、思想などについて独自に研究を進める。
1991年、それまでの研究をまとめた『日月神示』(徳間書店)を刊行。
以後、関連した書籍を相次いで世に送り出す。
~プロフィール 出典:「日本弥栄の会」HP
ご紹介者:匿名希望 UP

村上 隆(むらかみ たかし)

1962年2月1日 -
現代美術家で日本におけるポップアートの代表者。
高級ブランド、ルイ・ヴィトンとコラボレートした商品を発表するなど、世界的影響を有する美術家でもある。
東京都出身。
「アートとは何か」、常に我々の価値観を揺さぶるような作品を世に送り出している。
自らの作品制作を行うかたわら、芸術イベント『GEISAI』プロジェクトのチェアマンをつとめアーティスト集団Kaikai Kikiを主宰し、若手アーティストのプロデュースを行うなど、活発な活動を展開している。
アニメ、フィギュアなどいわゆるサブカルチャーであるオタク系の題材を用いた作品が有名。
2002年パリで開かれた「ぬりえ」展は大成功をおさめ日本特有のキャラクターやアニメを芸術へと昇華してみせた。

平田 オリザ(ひらた オリザ)

1962年11月8日 -
日本の劇作家、演出家。
劇団青年団主宰、こまばアゴラ劇場支配人。
代表作に『東京ノート』『ソウル市民』三部作など。
80年代に小劇場において見られた絶叫型の劇に対して、淡々とした会話とやりとりで進行していく「静かな演劇」と呼ばれるスタイルを打ち出し、新しい現代口語演劇の作劇術を定着させた。
戯曲集のほか『現代口語演劇のために』など理論的な著書も多い。

遠山 正道(とおやま まさみち)

1962年東京生まれ。
スマイルズ社長 85年慶大(商)卒、同年三菱商事入社。
97年日本ケンタッキー・フライド・チキンに出向したときに、企画書『スープのある1日』を書き上げ、開業のきっかけを作った。
99年『スープ ストック トーキョー』第1号店をオープン。
2000年株式会社スマイルズ設立、代表取締役社長就任。
絵画アーティストとしても活躍。

『スープ ストック トーキョー』 個性的なメニューが人気を呼ぶ。
著書に『スープで、いきます』

三澤 武彦(みさわ たけひこ)

写真はフェイスブックよりお借りしました。

1962年生まれ
釜石生まれ、名古屋育ち。
三澤武彦写真事務所代表
1990年代後半から、結婚式とその後の家族の記念写真を撮り続けている。
ライフテーマは「私的報道写真」。
2003年には中部の写真家300人展グランプリ、2011年にはエプソンフォトグランプリ審査員賞を受賞。
結婚式の写真展や2012年には写真展「私的報道写真」を開催している。

小荒井 衛(こあらい まもる))

1962年生まれ。
1984年茨城大学理学部卒業。
1986年国土地理院採用。
2005年より、国土地理院地理地殻活動研究センター地理情報解析研究室長。
専門は地理、地学、地図、防災。
「古い地図や写真から知る液状化の危険性」について講演を行う。

福井 義高(ふくい よしたか)

昭和37年、京都府生まれ。
東大法学部卒。
国鉄、JR東日本、東北大大学院助教授を経て、現在、青山学院大大学院教授。
米カーネギー・メロン大で博士号取得。
著書に「鉄道は生き残れるか」など。

井原 裕(いはら ひろし)

1962年 -
日本の医学者、精神科医。
専門は精神病理学、司法精神医学、精神療法。
獨協医科大学医学部教授。
刑事・民事の精神鑑定を数多く行っている。
精神療法的接近を心掛けており、薬に頼りきりではない精神科臨床を実践している。

村上 光男(むらかみ みつお)

1963年生まれ
器作家 1963年三重県津市に生まれる。
30才のとき、陶芸家を志し、瀬戸窯業高等学校陶芸専攻科に入学。
1995年、鳥羽に光和窯を開く。
青磁に魅せられ、『青』をテーマに青磁、青白磁、灰釉、染付けなどの技法を用いて食器、花器を中心とした、『用の器』を制作。
作品は、毎年名古屋、三重など各地の個展にて発表。
(村上氏ホームページ鳥羽光和窯より)

畠中理恵子(はたなかりえこ)

1963年神奈川県生まれ。
書店員、ライター。
著書に『神保町「書肆アクセス」半畳日記』(無明舎出版)

加藤 雅也(かとう まさや)

1963年4月27日 -
奈良県出身の俳優。
写真は、映画「さくら、さくら」-サムライ化学者高峰譲吉の生涯で、高峰譲吉役の時の丸メガネ。

千田 嘉博(せんだ よしひろ)

1963年7月 -
日本の考古学者、奈良大学文学部文化財学科教授。
専門は城郭考古学。
日本各地の中世・近世城郭の発掘調査・整備に関わるほか、ヨーロッパ・モンゴル・ニュージーランドなど世界の城と日本の城の比較研究を行っている。
各地の自治体の城館発掘調査・整備、文化財保護、自治体史の編さんに委員として参画。
日本100名城選定委員。

竹谷 隆之 (たけや たかゆき)

1963年12月10日 -
北海道出身のフィギュア造形作家。
雨宮慶太監督作品の造形美術を担当していることで知られる。
漁師の家に生まれ、粘土細工やプラモデル製作で遊ぶという幼少期を過ごす。
阿佐ヶ谷美術専門学校に進学し、グラフィックデザインを専攻するも、クラスメイトの寺田克也の絵があまりに上手いため造形の道へ進んだという。
専門学校在学中に製作した初のスクラッチビルド作品を西荻窪の模型店に展示したことをきっかけに小林誠と知り合い、小林に師事し、そこで造形仲間の韮沢靖と出会うことになる。
専門学校卒業後、小林の誘いを受けモデルアート社に入社。
月刊モデルアートの編集の仕事に従事。
並行して博覧会等の展示映像用立体物の製作などを請け負っていたが、造形の仕事が多忙になりフリーランスとなる。
寺田の紹介により雨宮慶太の映画『未来忍者』に参加。
以後、雨宮作品の造形美術を担当することになる。
高いレベルの造形力と、氏独自の解釈で描かれるデザイン力が評価されている。
特に有機的なメカニック・デザインやクリーチャー作品を得意とする。
オリジナル作品集『漁師の角度』のほか、『仮面ライダーシリーズ』、『ファイナルファンタジーシリーズ』のフィギュア原型を担当。
『牙狼』など特撮作品の美術デザインにも参加している。
海外にも熱狂的なファンを持ち、膨大なおもちゃのコレクターであるNIKEの社長Mark Parker自らが竹谷の原型を買いに来た事もある。

杉山 豊治(すぎやま とよじ)

1963(昭和38)年)愛知県生まれ
高校卒業後、国際電信電話(KDD)に入社。
その後KDD労働組合中央本部政策調査部長、情報産業労働組合連合会政策局長などを経て、現在、日本労働組合総連合会(連合)社会政策局長。

増田 健一(ますだ けんいち)

写真はブログ「☆東京レトロな生活骨董の店スピカ」より拝借しました。

1963年生まれ?
元JR職員。
現在は「大阪くらしの今昔館」特別研究員。
JRで運転士を務めるが、昭和レトロ家電を集める趣味が高じて平成14年に退職。
集めた昔の家電は800点余り。
全国各地での「増田健一昭和家電展示会」などに自身がコレクションしている家電製品を貸し出している。

ぴろき

1964年1月1日 -
落語芸術協会・漫才協会に所属するお笑い芸人。
本名は佐藤浩樹(さとうひろき)、岡山県里庄町出身。
一時漫才コンビを組んでいたが、現在はピン芸人として寄席を中心に活動している。
頭のてっぺんで髪を丁髷の様に結い、丸眼鏡・フリルのブラウス・蝶ネクタイ・幅広のズボンという出で立ちで、ギタレレ(ウクレレより弦が2本多い)を弾きながら自虐ネタ漫談を披露する。
キメ台詞は『明るく陽気にいきましょう』である。
ゆるキャラぼやきの哀愁の癒やし系芸人とされている。

堀江 敏幸(ほりえ としゆき)

1964年1月3日 -
岐阜県多治見市出身の小説家、フランス文学者、早稲田大学教授。
早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。
東京大学大学院人文科学研究科フランス文学専攻博士課程単位取得退学。
その間にパリ第3大学博士課程留学。
1995年『郊外へ』で小説家デビュー。
2001年『熊の敷石』で第124回芥川龍之介賞受賞。
以後数多くの賞を受賞、また、選考委員も務める。
2004年より明治大学理工学部教授、2007年に早稲田大学文学学術院教授に就任。
2009年に早稲田大学短歌会会長に就任。

角田 暁治(かくだ あきら)

1964年12月5日ー
京都市出身の建築家。
現在、京都工芸繊維大学准教授 博士(工学)。
1987年 京都工芸繊維大学卒業。
1989年 京都工芸繊維大学大学院修了。
竹中工務店設計部を経て、1998年アトリエ・K一級建築士事務所設立。
2004年より京都工芸繊維大学にて教鞭をとる。
作品に「賢島ミキハウス荘」「蓼科の別荘」「KIT PAVILION」など。
設計活動とともに、村野藤吾に関する研究も行っており、著書に「村野藤吾のファサードデザイン」などがある。
(角田先生がこの写真でお掛けになっているのは、本会オリジナルのKAICHIで、角田先生は他にも本会オリジナルの丸メガネをお持ちです)

野村 辰寿(のむら たつとし)

1964年生まれ
三重県出身。
多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業、株式会社ロボットに入社。
CMディレクターとして活動後、フジテレビ『ストレイシープ』をきっかけに、『ジャム・ザ・ハウスネイル』『ネコのさくせん』TVアニメシリーズ『ななみちゃん』ネトアニ『Moon Boon』など、さまざまなアニメーション作品を手がける。
また、同社キャラクター・アニメーション部Animation studio CAGEを設立。
オリジナル作品や、CM、テレビ番組、Web、絵本、イラストレーションなど幅広く活動中。

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